FC2ブログ

入不二君が立教で講演した ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

入不二君が立教で講演したのページです。

入不二君が立教で講演した

 
 
昨日12月12日、
立教大学で入不二基義君の
「運命論」の講演があり、
湘南高校「文芸部」同輩のよしみ、
加えて立教大学文学部の末席をけがすものとして
講演を拝聴、高校卒業以来の旧交を
講演後の懇親会&二次会でも暖めました。

入不二「運命論」は論理学の排中律、同一律などをつかい、
それに時間意識=「いま」を加えることで形而上化をほどこし、
結局は「いま」を全体に横溢させるというもの。
そこでは、「必然」と「偶然」の弁別も無意味になり、
そのことで同一律が「必然」=「偶然」という
非同一の同一となって
過激に融即化してゆく。

水際立ったような論理展開でひきこまれた。
けれどもその時間は
切片で切られて極度に抽象化されている。
僕は詩の実作の経験から
「偶然の必然化」「必然の偶然化」によって
創作「時間」の厚みという着眼がさらに出る、
それが「運命論」の進むべき、
さらなる局面ではないかという話を酒席でした。

入不二君が、酒を一滴も飲まないことに
アル中気味の僕としては「へへえ」とおもう。
彼と僕との個性のちがいはそういうところにも現れている。

それと。

入不二「時間論」は彼の鮮やかな百メートル疾走の実績から
出ているのではないか、
そこで彼は「ゼノンの矢」の逆説を考えたにちがいない。

では入不二「運命論」の原基は何か。
か~んた~んにわかっちゃった♪
秘密は彼の奥さんにある。
けれど恐ろしくてこれ以上はいえない(笑)

いずれにせよ愉しい一夜だった。
僕の学生、たくろーくんの質問にも
入不二くんは誠実に応えていたなあ



時間論についてはいま考えていることはみっつ。

ひとつはプルーストで、
「無意識は言語のように構造化されている」ではないが、
時間はすでに内在的に構成化されていて
これを身体レベルで綿密に実証化したのがプルーストだった。
たとえばこういうプルーストを
僕は古谷実のマンガ『シガテラ』論に援用した。

もうひとつは連句(歌仙)で
前後のつなぎに「ズレ」がはらまれることで
流れ総体に「時間」が全体化される局面があるということ。
これはたぶん僕の詩作原理でもある。
いま演習で巻いている歌仙は
いずれこの日記欄で完成版をご覧にいれます。

最後が映画。時間の編集加工という問題。
連句にもこれは通じるのだが、
結局、時間は形而上学の「外側」で
ある種の織物として発明され、
そこに物質性が保たれることで
物語作法をもこえる場合があるということ。

タランティーノ『パルプ・フィクション』や
フィルム・ノワール、
それとみとちゃんの卒論じゃないが
押井アニメなどがそうだ。
それらは作品であり時間であり脱時間なのだ。

ま、今度は講談社メチエで本を出す入不二くんの活躍をみて
自分もやるべきことが多いと気合が入った
 
 

スポンサーサイト



2009年12月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する