三面記事
【三面記事】
さんめん記事が
さんかくに割り付けられて
そこで火事がもえていた。
Y字路のV部分のその屋敷は
舳先に似ていたそうだが
おおきな冬を就航していた。
その中途がついえる。
サカナノミミハドコダ
ご近所がさわぎ
きらきらほのおが鳴って
風の手も千攫一金とばかり
空から柱だけをつまむ。
そのとき小さな神殿が
消えながらみえた、
ちいさな耳形のしろがねだ。
翅につつまれる死者半名に
ご近所はさわいだ。
結構、気に入っていた詩篇だったのに
反応が出なかったなあ。
「こういう詩」のリテラシー回復のため
以下に自註をかかげてみます。
●
一昨日、藤井貞和の「物語論」の本を読んでいたとき
「物語」の発生の場として
神話、戯曲、小説、映画、コミックのほか
絵画(宗教絵画の続き絵)、三面記事など
多様なものが示唆されている冒頭部分があって
「三面記事」の物語機能がどういうかたちをとるか
それを反射的にかんがえた。
その記憶がこの詩篇に昇華したとおもいます。
不足。類推。都市伝説化。とんでもないものの尾鰭。
じつはその具体的確証のため
朝倉喬司『都市伝説と犯罪』を手に取った経緯もあります。
その本は犯罪実証がずれて
都市伝説の成立する空間的厚みが前面化し、
そこで地霊が舞う、いかにも朝倉的なものでしたが、
「津山三十人殺し」から「秋葉原殺傷事件」、
明治初期の毒婦事件から現在の群小事件まで
啓蒙的・網羅的に描出された素晴らしいものでした。
昨日、版元を「新書館」と書いたけど
「現代書館」の誤り。
そういう前段あって、詩篇を書き始めました。
前回アップの詩篇は「ですます」調の評判が高かった。
なので、最初「ですます」のアプローチをしましたが、
韻きが甘く、途中「ですます」を排除して、流れを締めました。
三角地の家屋は火事を呼ぶ、という「民間伝承」に基づいています。
それと冬は樹木をあまり詩にできない。
代わりにこそ火事幻想の詩篇が多くなるともおもいます。
三面記事が情報不足から類推を呼び、
結局、とんでもないものの尾鰭までつけてしまう機微を
そのまま語の類推機能で書いた。
「さんめん」→「さんかく」
「Y」→「V」→「(舟の)舳先(へさき)」
(一攫千金)→「千攫一〔金〕(貧乏人の手捌き)」→「しろがね」
それと、宮殿と耳にも
作者にとっての独自の類推関係が成立しています。
「一攫千金」は平岡正明の快楽亭ブラック論にあった言葉。
その逆転がおもしろい、という記憶がのこっていました。
ただし平岡正明のその本は、
朝倉喬司の中村うさぎとの共著本とともに僕にはダメだった。
ブラックもうさぎも粗すぎるのです
(そういうことで今朝からまた藤井貞和の別の物語論を読んでいます)。
唐突な《サカナノミミハドコダ》は
黒蛙さんの昨日のミクシィ日記に僕が書き込んだフレーズ。
詩篇のポリフォニックな「別次元」として一旦挿入、
それをしかしのちの伏線ともしました。
ラストちかくになって結果的に
その火事を告げる三面記事が聖化・幻想化する。
「死者数名」なら
アナログフィッシュの「夕暮れです」になるんだけど
「死者半名」ともってきました。
一体何が炎えたのか。死人が出たのか。
詩篇はその結末を自ら不分明にします。
代わりに天上に昇ったものの曖昧な余韻を出しました。
つくってみておもった。
この詩作にあたり念頭にあったのは
塚本邦雄の次の有名歌だと。
ほほゑみに肖〔に〕てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台
これを詩篇への「返歌」として置いてみると
詩/短歌の組成のちがいが如実にわかるかともおもいます
2010年03月10日 阿部嘉昭 URL 編集