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遠近 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

遠近のページです。

遠近

 
 
【遠近】


きのうの場所のために
憶えには遠近が要るだろう
雨の縁台に腰かけ
朝をみていると
おぼつかなさは父母未生の
巣のかたちをしていて
おきぬけ一時間に
食べるパンにも
追想がとらわれてゆく
いろのない虹に
おぼれる虫じしんの色だ
おもうにつけたしあわせも
たべる所作のゆびをすぎ
かなでるゆびの突端となるから
共鳴機をわきにつけて
ひびきをおもっているひとの
からだも想像を突き破ってくる
与えのからだはいつもそう
色身のあらわれはけれど
二次的なすがたがうつくしい
だから先に演奏するのだ
このひとりをみんなとして
雨の朝は屋根にいよう
ひと、ひと、ひと (雨粒
いろがぼろとなって、なびく
ひとが城、とは本当かもしれない
いっそ季節でもあるだろう
数人寄ればそれは夢殿で
こころのなかをみせあうと
どこでもないそこに万華鏡の
中身も映る(消えるため)
そういう橋に昨日の
奥床しいが色として、くる
それはちいさいが
屋根のうえで待つ者には
遅れこそよい便りなのだろう
からだのようなものは
いつもとおくに
みちている




西中行久調。
その土台に、
さっき廿楽さんの日記に書き込んだことを
反転して上乗せさせ、
同時に三村京子の新アルバムの歌詞を
べつの連関でちりばめた。
わかるひとには、この想像の型がわかるだろう。



昨日は瀬々敬久の十月公開の新作、
『HEAVEN'S STORY』の試写を
アテネフランセでみる。

四時間四十分の大作。
ひかり市母子殺人事件をアレンジした
被害者家族の救済問題を中心に
獄内者との結婚、警官汚職、炭坑廃墟、風景疎外など
現代的問題がひしめき、
そこで人物が多様につながってくる。

そのひしめき、つながりこそをHEAVENと見立てる
つよい認識の作品だった。
次のベストテン期にはかならず話題になるだろう。

さて、自分が消滅しても
世界が自分のあずかり知らぬかたちで存続すること、
それは「恐怖」だろうか。
作品は一旦、そう捉える。
ところが大島弓子の『四月物語』ではないが
それは本当は「なんとなくあま~い感じ」なのではないか。
HEAVENは二次的にはそういう遠さの空間ともなるだろう。

一緒にみたひととは鑑賞後、
瀬々のメッセージのベタさが話題になった。

「これから生まれるひとたちにも僕を憶えていてほしい」

「家族を殺された者はしあわせになってはいけない」

こういう「設問性」をはらむ詩的揚言は
瀬々映画のひとつの特質だが
それが普遍性をもって波及するためには
瀬々がしたベタさの選択はまちがいがない、
という結論ともなった。

もうひとつ、本当の出来事はやはり運命論的基準から出来する。
それに翻弄されるだけでは二次行動は実際は行動ではない。
それにたいする実存的な選択によってのみ
行動は行動になる、という隠れたメッセージもあるようにおもった。
これはじつは『感染列島』から継承されているテーマだ。

山崎ハコがいい。とくにうつくしい忍成修吾ととりあわされる
山崎ハコの身体の、物質的奥行きがいい。
最初、その女優がだれだかわからなかった。
結城美栄子かなあとおもうと若すぎるし
顔の造作、そのディテールも微妙に異なる。
エンドクレジットで山崎ハコとわかった。びっくりした。
僕の知っている往年の彼女とはぜんぜんちがう顔だった。

エンディング曲は瀬々作詞で
作品の音楽も手がけている安川午朗の作曲。
瀬々の作詞は彼の詩人気質の表れなのだが、
作品世界を鳥瞰的に説明しすぎた感があった。
つまり歌詞特有の昇華がいまだしの感じなのだった。
だがそのこと自体が胸を打つから不思議だ
 
 

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2010年05月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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