寝返りのきらめき ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

寝返りのきらめきのページです。

寝返りのきらめき

 
 
【寝返りのきらめき】


眠りにある茶色い部分を
まぶたで閉じて
その者は渇いてねむる
そのように眼のあたりが
並航する陰唇となって
どんな誘惑が夢見られるのか
疲れから引き出されたもろもろは
風媒のなごりをつたえるだろう
いずれにせよ就寝は
天幕中の出来事となり
けだものをあまた泳がす
脚が四本となるような眠りだから
それに触れるこちらも
あまやかな眠気に誘われてゆく
閉じた域にある天国は
なかにある交錯によって保証され
この距離もまた組み入れられてゆく
同ジ味ニ舌ヲ痺レサスンダ、
全身では藤房のように眠る人
起きないことが栄耀である姫は
感情の釘を金色にとどめ
それを蓮のように裏敷いている
ある角度からそれが光る
この寝返りが雲母だ
妊娠シテイルカモシレナイ、




プルースト「アルベルチーヌの眠り」風、
あるいは鷲巣繁男のように。

けれど本当はこの眠りのテーマは
演習のために再読していた
坂口三千代『クラクラ日記』から導かれた。

安吾によって「青鬼の褌の女」のヒロインに転写された
「退屈」「ぼんやり」「受動の叡智」、
その正体を三千代自身が告げる箇所がじつは同書にある。
ちくま文庫版でいうなら319頁。



私は一時期、ひどく動物的になってしまって、
条件反射というか、
彼の体にさわるだけで
無性に眠くなるという習性がついた。
この不思議な現象には悩まされた。
どんなにいぶかしく思ったことだろう。



この何気ない一連に表れた、
安吾と三千代の関係の崇高さが伝わるだろうか。



昨日は小田島等さんが神保町「路地と人」で開いた個展、
その初日に三村京子と出かけた。
晶文社編集・倉田晃宏さんとその場で鉢合わせ、
結局、倉田さんのご馳走になった。

小田島さんのデザイン集成豪華本『ANONYMOUS POP』では
拙著『僕はこんな日常や感情でできています』表紙と
三村さんの名盤『東京では少女歌手なんて』が
見開きに並んでいて面映かった。

「路地と人」に行く前、大通り裏に林立しはじめた
古本屋をひやかしていると思わぬ収穫があった。
中本道代さんのもので唯一、未所有だった
『四月の第一日曜日』がそれ。

早速、帰宅中&帰宅後に読む。
「夏至の娘」などという衝撃的な詩篇が入っている。
《私は性病です》というフレーズ
(むろん文字どおりの意味ではない)が
あったりするのだ。

そういえば大通りでは帰宅途中の郡淳一郎夫人にも会った。
昨日は偶然の邂逅が多かったなあ
 
 

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2010年05月22日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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