あかるこ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

あかるこのページです。

あかるこ

 
 
【あかるこ】


あかるこ、と名づけたものを
身のうちがわにして
かたちにならぬものを
あぐらにたぐりよせている
それはすなわち
あぐらでもなくなることで
つまりあぐらはわたしを組まない
四肢がよけいになって
手はあしにもれてゆくから
これがわたしの死ぬ日なんだ
わたしは組まれないが
しずかさが内におくふかい
発話すらせず日をなかばして
ひかりになってどうする
いくらかの真理をなぞるように
木は木ならざるもののうちにあり
木はあかるこ、としてただある
うろがひかっている林に
なりかわってゆくすがらでは
一身が落胆からほろび
あかるこもぼろぼろとうまれ
さようならそれが最後の
林のわたしにすぎない
 
 

スポンサーサイト

2010年09月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

昨日、本を読みすぎて
今日は光のなかに茫然、
といったありさまだった。

風呂を入るまえに詩を書こうと決意、
今日感銘を受けたものを
自分なりにパッチワークした。

ひとつはアメリカの20年代以降、
資本主義と男性と姑にとって理想的な主婦が
台所関連製品広告からどうつくられたかを
当時の雑誌広告から吟味していった
原克(はらかつみ)の『アップルパイ神話の時代』。

そのラストにドン・マクリーンの
「バイバイ、ミス・アメリカンパイ」
(70年代初頭の大好きなヒットチューンだった)の
リフ部分の訳詩が載っていてそれに影響された。転記。



だから、さよなら、ミス・アメリカンパイ
ぼくのシボレーで土手までいったね
でも、土手は干上がっていたね。
でも馴染みのやつらはウィスキーやライを飲んでいるよ
今日はぼくが死ぬ日だって歌っているよ
今日はぼくの死ぬ日なんだって。



こんな歌詞だったんだ… と驚愕した。

それと古書店から福田和夫『名前を呼ぶ』
(深夜叢書社、77年)も届いた。
噛み応えのある詩集だが
30頁の小詩集なので一気読みしてしまう。
そのなかの一篇にも影響された。転記。



【蛍光灯】
福田和夫


記憶に蛍光灯がともつている
できるかぎり記憶を遡及させても
スイツチは切られていない
記憶不明の壁の向うにも
白い光が 洩れている

ひとびとは 白い光を
絶やさなかった 確実に毎日
スイツチを入れていた
そういえば わたしも
いつも蛍光灯をともしてきた
おもい当るのはこんな単純な事実である

有個なんて言葉をつくり
わたしは発音してきたが
出遇っている記憶は
蛍光灯をともしてきたわたしにすぎないのであつた


【※最終聯冒頭、「有個」には圏点】
 

2010年09月05日 阿部嘉昭 URL 編集












管理者にだけ公開する