記憶浴 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

記憶浴のページです。

記憶浴

 
 
【記憶浴】


記憶にかんしては、聯想の糸をひいたとおもわれるときがある。ゆ
るやかに過去の事象が、いっけん脈絡なくすがたをあらわしてくる
が、後悔の色調がそこに裏縫いされていたりすると、ゆるやかさも
ますます緩慢をえんじ、まさにそのことにこそ叱責の電流がはしっ
て、すでにあったあらゆるかたちがくるしさをおびだす。たとえば
そのようにしてあらわれた壷のすがたがくるしみそのものであって
よいわけもないのだが、遅さというものはそのようにしてひとを一
定の感情にとどめ、鼓動のたびごとにそこから慙愧をなげあたえて
くる。これは神性が瞬間を空間にあまねくわたしているとかんじら
れる同時性の速さと表裏をなす心的現象ともいえるが、それだから
遅さを心身の立場からほめられなければならない。たとえば老齢の
はだかが肥痩いずれにあろうとやさしさにひかるのは、そこに遅さ
が荘厳されているためだ。さらにこうかんがえるといい、記憶の聯
想の糸は、一秒先をあるく予想的みずからを追うこのあゆみにも似
て、いつも線の一端しかみせないのだから、あらゆる一点一点も加
算されて夢のようにしか出現していない。だから出没をおもいえが
く運動にもじっさいは遅速の区別など存在しないと。想起が精密で
あればとくにそうなる。遅さが悔いにつながるという錯覚を捨て、
おもいだすためにも、いまが湯にはいるときだ。鉱泉というものが
入浴者の所作を緩慢にするのには、このような利点があるのだった。
 
 

スポンサーサイト

2010年10月26日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する