連詩の原理 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

連詩の原理のページです。

連詩の原理

 
 
連詩の原理を連句(歌仙)にもとめるのなら、
「付け」は穏やかな順接的延長ではなく
不連続性を加味した「ギザギザ」であるべきだろう。

そういう波乱ぶくみのなかで
黙契、継承、など高度な精神性が作用して
連詩はただ詩をつくるのとはちがう次元に入り、
そのことで「作者」が否定されてゆく。

しかもその「作者」も一旦定位されたうえで
消されてゆくじつは「見せ消ち」にちかいことで
なにか詩が「個別化→フィクション化→共同化」といった
通常の個人詩篇にはありえない経緯を辿るのではないか。
成功すれば快挙だがむろん困難だ。

立教での連詩連句演習の連詩のほうは新しく班決めをし
さらに「ギザギザ化」が亢進する成行きとなったようだが
「呼吸の合わせ」が稀薄化したことで
他人が読むと疲労感が走るものになっているかもしれない。
ぼく自身が参加しているので判断がつかない。

とりあえず最近の作例をペーストしておくので
好事家はそれぞれ心中で出来を判断してもらえると嬉しい。

(連詩第一弾は先々週にもう完成をみているが
来週あたりにぼくのサイトにアップするつもりです。
なぜか今週は多忙。
今日=授業準備、火曜=授業日ののちの
水曜~金曜は毎日、一個ずつ原稿〆切がある)



5【域】
松井利裕


もしも赤子が老婆になるのなら、ゴーギャンは左利きだったのだろうと妊婦は考えていた、あるいは、タヒチの時間は右から左に流れるのだろうかと、しかし、概ねゴーギャンの自我は右方を向いているのだから、やはり画家自身に因子があるのか、いや、タヒチ島が母体ならゴーギャンは胎児であり、すなわちタヒチに原因があるのだろう、妊婦は腹部を、無論満月のような腹部を撫でながら、哀れむ口調で、母親の養分を食らう子の末路を記述し、沈痛な様子を演出しようとしたが、彼女は妊婦でしかなく、ゆえにポール・タヒチのように一人の妊婦として存在し続けた。

胎児が交感したのは右端の青黒い犬とであり、人や神像とではなかった、一つにはその伏せたる犬の彩色が、自らを囲繞し境界を朧にする暗闇と呼応していたからで、いや、もしくはその闇が、犬の眼光の消失と結びついていたのかもしれないが、ただ、それ以上に、犬の半身が画面によって不在とさせられていたという点に、胎児はその交感の主たる要因を見出していた、その暴力的で、有無を言わさぬ切断こそを彼は求めていたのであり、ゆえに、犬の口は短く、それでいて確実たる呪文を唱えたが、無論彼らには、その効力の及ぶ範囲を明確にすることができなかったため、それは鼻先の乾いた土埃を心なしか揺らすのみに終わった。





6【徴】
三村京子


1キロほどもつづく銀杏並木
陽のあたる金色をみるだけなのはなぜだろう
「われわれ」の足並みは揃わないけれども
たとえメッセージをもたない君でもメッセージを発する
「われわれ」のフラットはそんなふうに思いつきしている
だから耳を切ってみようなんてどちらでも同じこと

島の反対側へ行くには山を越える必要があり
岩だらけの不毛地帯らしいが、
かつてある船員が、かの地で精霊に会ったとはいう

プアホワイト、ジェームス・アール・レイに撃たれる寸前、
メンフィスの演説の、あのキング牧師の神々しさ。
彼がモーセであったには、それはもちろん違いないが
奴隷解放運動の頃、祖先たちはやはり歌ったのだろうか
霊歌を。底抜けに明るいポリフォニーを。祈りの、踊りの音楽を





7【避けたい共同声明】
長野怜子


「どうしてもっていうから、首相になったんです。一億人の意思を皮切りに日本はどこまでも自由でいられる。私は一人であって、日本ではなく、日本人ではある。くだらない自己主張ではありますが、他に話せる演説内容がないものでして...」
(会場ブーイングが飛ぶ、揺れ動く最中ではあるが、人々は揺るがない指針が欲しいのだとか)
ぽーい、ぽいぽーい。鞄舞う。靴も舞う。
(例えばシャネルのバックで地雷を撤去したり、ソニーのブルーレイで黒い雨を避けたり。似たような光景。)
(ただの平和じゃ満足しない時代かぁ。)

「質問は順番にお願いします」
瞬間鳴り出したマナー違反の着信音。
伴い一致する人々の思い。

(なんだ、いくら言葉を重ねても、行動には勝てないのね)

ならいっそ歌でも唄えばいいのに。





8【葬送歌】
阿部嘉昭


きみをうずめるために
頭上へかかげてはこんだ
ぼくたちにはために影がさし
列は列のかたちのままで伸びた
竪琴になかば貫かれた太陽
かなしいこと黒いこと
死ぬのはそうしてかがやきを
うばわれた穴となることで
うち返すおもいもゆえしらぬ
まなかの奥処にさそわれて
迷いをただかさねてしまうから
死はみつめられず掲げられる
ぼくたちの姿が花と呼ばれれば
一歩一歩ひざしにゆれるだけ
このゆれることでぼくたちは
たぶん死なないだろう、一月に
 
 

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2010年11月29日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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