連詩さらにその後
14 【葉が堕ちる】
中川達矢
人間は非常に人工的な生き物である。
生物的で生理的で自然的でもあるが、
人間が人間を作るから人工的である。
血管が運ぶ血が運ぶ栄養と似通って、
大樹の葉が作る澱粉は茎の中を泳ぐ。
「葉っぱを見て御覧なさい。
そこにどんな物語が紡がれるかしら。」
貴婦人は当たり前を知らないでいる。
葉脈は葉先に向かえば向かうほどに、
小さく細くなっていくしまうことを。
「ああ、人の終末とは、
どんな物語なのかしら。」
役目を終えた落葉を踏みつける彼女、
足元には階層を織り成す地面が在る。
15【昆虫譚】
松井利裕
蝉は土の中でずっとカリフラワーについて考えていた。彼は地上に生きる、ある人間の精神活動を肩代わりしているがために、そのような負荷を背負わなくてはならなかった。こうして光のない場所でカリフラワーを思考する様子は、傍目には非常に美しく見えただろう。蝉の周囲には他のカリフラワーについて考える他の蝉が多数存在し、彼らは土中の奥底に幾つもの白く輝くカリフラワーを開花させた。
青と黒に塗り分けられたアシナガバチは、後肢を長く垂らして夜に咲く白い花々の上空を飛行していた。身体の傾くたびに、淡く発光する脚を左右へ引きずり、蜂は蜜を求めて二対の翅を振動させた。ドップラー効果を忠実に守り、顫動音はドからシの間を行き来したが、それは一つの旋律となって夜明けを引き連れてきた。アシナガバチは白い花弁に着地すると、頭部を夢中に花の内臓へと潜り込ませた。
16【眼球考】
三村京子
よく見ると、彼の眼はうつろであった
夜の発光は、畢竟、嘘にはちがいないが、
それにもまさる、不可知の速度が拉致されてあった。
幾星霜、幾星霜。
わたしの眼のなかに放浪者が在る
ここが渋谷センター街、その峡谷の底の底。
かつて祖先は住居というものに耐えきれなくなり
軽さへと放火したという
いちどきに、荒廃の地へ変わること。
いちどきに、荒廃の地へ変わること。
夕ぐれの蒼。
家族というものが幽霊であるのなら
家に帰ってゆく彼らの
その透明な後ろ姿をもって
眠りへむかう行灯とする。
わたしの眼のなかに放浪者が在る
17【夕飯】
長野怜子
「夕ご飯にするわよ」の掛け声が階段
下から聞こえると、5時。
食器を掻き鳴らす、6時。
家族がそろったら、7時。
テレビと風呂にて、8時。
残りの9時から23時をどう過ごそうか
と考えながら眠る、0時。
あれま。
ふと空気の匂いが代わる頃 目が開かれたので 電灯の下を一人飛び回ってみたんだけど 弟と父がやってきて
「お前は蠅か」と嘲るので、魔法をかけてやった
やがて朝が明ける頃、電灯は光を失って、そもそもその前に感電死した蠅を含めると新聞に載る人数は恐らく0。
例えば、それが命だったり。
起きてみれば朝か、6時。
家族が家を出てく、7時。
今日から弟と父がいないのは気のせいだとかぶりを振って
私は、私は、と自分の朝食を囲いひたすらにニュースを眺めるふりをしていた。今更見てしまった夢も事実も変えられないのだと安心するために。
18【暦】
阿部嘉昭
五月、帝王切開に金貨がただようと、翅がみどりにひかって、
蜂の眼のなかの馬車もきえる。そうしてひとは複数を知る。
六月、水門があげられ、記憶の干潟がひかりにうるおうと
旅びとの履物がとけて、裸足の数かずが予兆に抱きすくめられる。
「眼を覚まして」と切迫の大声で起こされたそのころ、
その温かさでなおする懐手がわたしというひとりを二人にしていて、
七月、ゆめはわたしにある両側の間隙を季節以上に驀進している。
とりのこされることの優位が、まんなかにある者をいつもみたし
手もとにある底ではその背景が藤棚としてなだれていた。すこし泣く。
八月、交錯の王が死んだ。こんご愛惜は旧記にかたまるだろう。
日高線を南下すれば、武尊か白鳥かがにじませた精液の天河をみる。
みることがきえること。やくそくの筋交うかなたが揮発の本拠だ。
九月尽、すでに心にひつような距離が水深だけになっていて、
ながれる水面にきえてゆくだれかの足あとなら、伴侶に測らせている。
水のなかから舌をのばすわれらは滅びつつあり、浮子は上に満つ。
釣りあげられるときにしめす、身の古代というものがあるだろう。