おくればせながら ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

おくればせながらのページです。

おくればせながら

 
 
あけましておめでとうございます。
もう三が日もとうに過ぎて
いまさらこの挨拶も間抜けだけども。

暮れと正月は
女房の実家に行き、おせちお屠蘇三昧ののち
飛騨高山と奥飛騨に温泉旅行に行きました。
奥深い山々の雪景色のなかにいたのは何年ぶりだろう。
何十年ぶり、という気さえする。

おかげで正月ボケというか
じつは去年の終わりくらいから、
詩作精神が減退しているのを感じる。
ぼくは多作なので、
からだがこういう感触になるのはじつはチャンス。

自分の詩を吟味し、捨て去るのにもってこいだからだ。

今年はある計画性のなかで詩集を発表しようとしていて
これから一ヶ月くらいは
痛烈な自己吟味を繰り返そうともおもっています。

ネットアップした既存詩篇も
次々に消去してしまうかもしれない。

さて、ネット環境にないうちに
暮れ正月ではありながら演習の連詩が進んでいたようで
気づけば自分の番がきていて、
枯渇した詩心を奮いたたせ、やっと以下をつくった。

従来どおり連詩の流れをしめすため、
中川くんからぼくまでを以下にペーストします。



19【自縄自縛】
中川達矢


人間国宝が生きた化石をぎゅっと抱く
まるで種馬が肉食動物のように馬肉を食べてしまうようだ
『種の起源』はエデンの園で破かれており
ガリレイは望んでいた土葬によって監禁された
地球は太陽に背中を向けた時に夜を覚え
赤い道を渡るアフリカのオアシスの水の中の魚を食べる種族が
年がら年中踊るダンスのリズムに酔いしれては朝を迎える
源平藤橘を冠として我が道を行く苗字帯刀
ショーケースに飾られた刀は血だらけ錆だらけ
世界平和を訴えるための平和活動をするための募金活動をするための募金
時はひがしににしにみなみにきた
せっくすとせっくすがせっくすをすればせっくすが生まれる
時が経てば解決してくれるだろうという安心感を放棄せよ
一日が二四時間と決めてしまったのはどうせ人間だろう





20【列車/外/わたし】
松井利裕


鉄骨で縦横の線を強調する灰色の景色が、左から右へと流れていく。しかしその速度はあまりにも緩やかで、電車の通路を左から右に逆行するあなたは着実に前進している。身体の記憶と移動距離と不和を抱えながらも、緑のスニーカーは交互に地面を捉え、離れるを繰り返す。
顔を上げて歩みを続けるあなたを、気だるげな女が眺めている。ブロンドの髪をした彼女の濁った眼と丸く形のよい額とを見返しながら、あなたは彼女の前を通り過ぎる。女はあなたの後姿をしばらく見つめるが、すぐに眼を宙に向け、窓外の景色を自身の中に取り入れ、あるいは瞑目する。
車両の境である枠が重なり、列車全体の傾きと撓みからやがて先が見えなくなる。あなたは金属性の支柱を手がかりに、その冷たい触感を視覚以外と連動させる。脚のメカニズムと、半規管の感覚毛についての意識を、ひそりと口内の渇きに集約することで、あなたは歩き続ける。
あなたは。





21【浮力】
三村京子


この浮力はなんだ。あしのうらを地面につけようとしても雲を掴むようにうまく着地できない。歩こうとしても体中に気圧が絡みつく。では私は何処にいるのだ。ここは地球ではなかったのか。
いま、世界が揮発しているきらきら、というのか、いま、私を美しさによって圧倒し、なお、それを続けようとする世界、世界のその肌理を、言語によって記述することもできるのかもしれない。世界の側(のその美しさ)に、圧倒されていたい、ということは確かで、そうして私はいつでも水のように流れていたい。それは、嘆きや悔恨とは遠いところにある、滅びることや悲しむことでもあり、同時に生きる喜びでもあるだろう。

私が流れてしまう為に、その肌理がもしも言語に化身して私に触れようとするとき、万華鏡めいたその文字の海に五体を絡めとられ、うまく歩くことができないかもしれない。けれど、浮力の理由がそれで説明できたわけではない。
数年前、それが真実であるならば、と、国が秘密主義を施行した。
解けない浮力の問題が生じたのは、それからだった。
秘密裡に発足された秘密政府の統治下で、成長と発展を願ってきた、われら純真無垢の希望の星たち、






22【反射した夜、苺まみれに】
長野怜子


誕生日を祝う白いケーキも、
君が亡くなるときには消え去っているかもしれない。

ふと想う、私の背中で。





23【陰膳】
阿部嘉昭


いまうつくしいものがとおりすぎた
それはけだものじみていて
留守のようにほころび、もつれてもいて
すこしまえには春の土手にあったものだが
わずかな盲目になるため食へなげこむと
食事につどう者らの気配をたしかにざわめかせた
食べるたび川になってゆくんでしょこの季節は
橋のうえになにもないことを深呼吸して
陰膳のあちらこちらに
花の蜜をうかべるんでしょこの季節は
鳥のたぐいをかじるのはくちばしをおもうことだから
さらにうつくしいものもとおりすぎる
芹の椀を見下ろしている恋の目に
(それはうつっている、
  



昨日夜は久しぶりに帰宅すると
郵便受けには賀状の束が。
それとともに、同人誌も一杯入っていて
自分がボケているあいだにも
世の中は見事に進んでいる、と感心しました。

一個だけPR。
「平岡正明という思想」という特集題で
ひさしぶりに復刊した「同時代批評」(17号)も
郵便受けに舞い込んでいて、
ぼくはそこに「少数派が多数派を解放する」という
平岡正明論を寄稿しています。
ネット発表した追悼記事を加筆修正したもので、
読みやすい記事だとおもうのでぜひ。

それよりも他の執筆者がすごい。
菅孝行、高取英、足立正生、石飛仁、
野崎六助、ハーポ部長、八木忠栄、梁石日、
上杉清文、伊達政保、平井玄、
布川徹郎、岡庭昇・・・
(朝倉喬司さんの原稿はついに間に合わなかったようだ)

雑誌全体に「70年代」が渦巻いている。
廿楽順治さんが70年代風の過去詩篇を
「現代詩のおけいこ」のタイトルで
ネット詩集化する英断をしめしたことだし、
今年最初の気分は「70年代ブーム」ということなのかなあ。

気風の持続を負う、ってことだ
 
 

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2011年01月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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