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写真 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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写真

 
 
【写真】


ふたり、土手のような場所にならんですわっていたが、むかって右
のほうがその場から身をときほぐそうと、やや後方へ顔をそむけ、
たちあがろうとするその瞬間をとらえた写真が、そこにあらわれた
やわらかい午後のひかり、あらわな膝とともに、どういうわけか記
憶中に数葉、強迫的におさめられていて、それらはあきらかに後年
の心理テストともなるようだ。時間差のおそろしさをそのまま凍り
つけられた動勢があらわにしているという主題。つまりもうあきた
というような不敵な面がまえの右のほうがかつてのわたしなのか、
気配をおぼえながら行かないでと無言で懇願している内省的な左の
ほうがわたしなのかと、自分の宿命的な位置どりを記憶の写真のな
かにまようのだが、じっさいわたしの役割はわたしの少年の生にお
いてその右でも左でもつねに可変的だったとはいうべきで、そのよ
うに存在の強者でも弱者でもありえたときに、わたしの身体にきざ
している運命的な恣意がなんとはるかだろうとおもわずふるえもは
しってくる。わたしは、傷つけられる者でも傷つける者でもありえ
て、それらがすべて焦燥からきているということ。画角からきえて
いるとはいえうつされている場所には土手の感触があるが、撮影視
点の不可能を度外視すれば、海面上から仰角した埠頭ともおもえ、
そうなるとその場を立ち去る際ににじみでているのは、ふたりをつ
つんでいた散文性がとけ、そのとけたはざまから音韻の藻がくらく
たちあらわれるのをきらう身振りだったという解釈の尾鰭もつく。
日はかたむいている。だからでおくれた左側のほうの少年もそうし
た身体の位相変化には同意しているような印象もあり、けっきょく
記憶上のわたしは夢想的な左側であっても、夕方まえの時間をから
だにすなおにおさめているだけで傷ついてはいないのかもしれない。

 
 

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2011年01月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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