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詩作者の散文 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

詩作者の散文のページです。

詩作者の散文

 
 
このところ詩作者たちの散文書籍を
新刊、古本とりまぜてずっと読んでいた。

きっかけは去年暮れに読んだ井坂洋子さんの
詩篇解読と身辺雑記エッセイを精密に抱き合わせにした
『はじめの穴 終わりの日』(幻戯書房、10年12月刊)と、
これまた去年暮れ、試写会に行くついでに渋谷古書センターで買った
「詩と思想」10号(80年10月刊)。
そのどちらにもふかい感動をおぼえたのだった。

後者には三橋聡の『じゃりン子チエ』評、
井坂洋子の音楽評と田村隆一論、
山口哲夫の井坂洋子論、支倉隆子の吉岡実論、
菊池千里の犬塚尭論(これはのち松下千里名義で『生成する「非在」』に収録)、
古賀忠昭と松下育男それぞれの近況報告文などが載っていた。
そう、いま再読したい詩作者が一堂に揃っている感があって、
なんとむかしの「詩と思想」は豪華なラインナップなのだろうと嘆息も出る。

連続読みした散文書籍は以下。
・荒川洋治『文学の門』(みすず書房、09年12月刊)【A】
・清水昶『自然の凶器』(小沢書店、79年7月刊)【B】
・岡井隆『詩歌の岸辺で』(思潮社、10年10月刊)【A】
・入沢康夫『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(書肆山田、10年5月刊)【C】
・入沢康夫『ナーサルパナマの謎』(書肆山田、10年9月刊)【C】
・多田智満子『動物の宇宙誌』(青土社、00年6月刊)【C】
・菅谷規矩雄『ブレヒト論 増補改訂』(イザラ書房、72年5月刊)【B】
・野木京子『空を流れる川』(ふらんす堂、10年10月刊)【D】

それぞれにしめされている「散文」が
彼ら彼女らが別の機会に書いている詩(歌)と似ているかどうかが
読解にあたってのひとつの思索判断基準となった。

【A】に分類した荒川と岡井の著作は、
書評集、エッセイ的詩人論集と呼べそうなものだが、
その柔軟性と全方位的な目配り、さらにそれらを裏打ちする学殖が
達意といえることばの運びのなかにしずかにきらめいている。

荒川洋治の書評が絶頂期坪内祐三に輪をかけている点は
読書人の多くにならもはや自明の域になってもいるだろうが、
たとえば山本有三の作家的資質を、
初版文献の文中半角アキ表示から言い当ててしまうなど手際が鮮やかだし、
チェーホフの短篇にどのように対するかにも血肉がかよっている。
荒川の詩の初学時に彼がどんな行動や嗜好をしていたかも伝えられ、
書籍全体でものすごく情報量が多いのに目詰まり感がないのは
荒川が選択する文体が論理的に武張らず、しかも精確だからだ。
「やわらかさ」はそうした荒川的精神の端的な結実の位置にある。

文章の掲載順序にたくらみがひとつある。
《散文は、異常なものである》という揚言が冒頭収録文にあるのだ。
もともと上代からの詩をふくむ文章では、
伝達性よりもその周囲にある特性が文章の眼目となっていたのに、
商業性を抱えもつ近代の発明品「散文」では伝達性に特化が生じ、
結果、「精確さ」などという
それ以前になかった特性が価値化されるようになる。

荒川は書中の一箇所で
自分の書評は、異常性をもつ自分の詩とはまったく似ていないと書き、
たぶんその返す刀で、
自分の散文が近代以来の「異常な」散文精神を体現していると
暗示しているような全体構成なのだった。
そうして荒川は精確さの実現のために、柔軟性をも組み込む。
そこが稲川方人的硬直との分岐点だ、というように。

近年、旺盛に雑誌発表された詩論詩人論を集成した
岡井の『詩歌の岸辺で』は
日夏耿之介や北原白秋から松浦寿輝、笹井宏之まで
(あるいはちらりと論及されるところでは藤原安紀子まで)、
俎上にのぼせる対象がじつに幅広い。

たとえば谷川俊太郎、吉本隆明、北川透、小池昌代への愛着が
「本気」なのもその文章から素直にわかるし、
とりわけ遅れてであった知己・辻征夫に
その生前もっと触れえていたら、という慙愧もうつくしい。
しかも詩文解読の見本のように、その解釈が多元的で見事でもある。

ぼくなどは物を書く日々の順序は、現在は
依頼原稿→詩作→自発的評論、といった優先順位になるが、
岡井さんの文章があつめられてハッとするのは、
そうした分離がなく、それら相互が溶融してゆく際に、
人生上の「機会」の意味が探り当てられている点だろう。
その証拠というように、掲載文章の一部は
詩集『限られた時のための四十四の機会詩 ほか』、『注解する者』、
さらには歌集『ネフスキイ』へと自然な接続が果たされている。

詩作・歌作と文章書きに分離意識がないという点でいうと
実際は先の荒川洋治とは好対照をなしていて、
それでも散文書籍の出来が荒川どうよう柔らかいのは、
岡井さんの場合は現状の詩作歌作が柔らかく、
その接続先となる文章も柔らかいという単純な図式に負っている。

70年代岡井短歌に出現してきた「詞書」が
いまでは岡井さんの文章全体に拡大したといっていいだろう。
収録文それぞれは依頼原稿なのに、
それを日録のように感じさせる点にこそ岡井魔術がある
(かつての『辺境よりの註釈』『茂吉の歌 私記』も日録だった)。
感性の異様な若さのことはここではいたずらに喋々しないでおく。

【B】に分類したのは清水昶と菅谷規矩雄の著作だが、
前者では黒田喜夫にたいする論争文の幾つかが
分厚い量で冒頭収録されていて、その構成の闘争性にまず驚く。
70年代後半、「革命意識」逼塞の時期に、
大きくいうと清水昶は日本的自然とは何かに着目せよと説き
黒田喜夫のいう「土着」がいかに概念的に空疎かを突きつける。
吉本の論争文が「試行」に飛び交っていた時期だから
このようにポレミックで感情的な物言いも時代的に許容されたのだろうが、
さすがに途中から、読む神経が磨耗してくる。
とりわけ欠けているのは相手への「例証」精神だろう。

このような「男性的な」文章はいまでは多く忌避されている。
ただしポレミックな文章の「たたみかけ」に
清水のリズミックな詩作意識を同時にみることもできるから厄介なのだった。

ともあれじっさい清水昶『自然の凶器』の美点はそのような場所にはない。
「荒地」「列島」などの戦後詩プロパーから外れた、
丹野文夫、永井善次郎、大野新、天野忠、米村敏人などを論じだす
第三章から途端に書面が精彩を帯びだし、
見事な平井弘(歌人)論を挟んで、
思潮社『新鋭詩人シリーズ・荒川洋治詩集』に掲載された
荒川洋治論(これは初期の荒川洋治論では白眉をなすもの)も出現する。
そこでは「新しさ」への非常に柔軟な対応もあって、
石原吉郎の追悼文の「敬虔」と大きな幅での好対照をなす。

清水昶の文章はその詩と似ているだろうか。
ぼくは彼の良い読者ではないが、
革命意識挫折ののち、さまざまな詩作者の美意識との化合をはかった苦闘史が
清水昶の詩業だという意識がなんとなくある。
そういう「くるしさ」と清水の文が似ていなくもないのだが、
たとえば論じる対象の荒川洋治とは清水は似ることができない。
岡井隆なら論じる平田俊子とも水無田気流とも似ることができるのに。

70年代後半に書かれたそれらの文章では
内ゲバ時代の終焉、という時局性がたえず裏打ちされていて、
その自然延長で「いまの若い世代はくるしい」とエールが送られるのだが、
その時代の「若い世代」の片隅にいたぼくなどは
清水昶の強調している「くるしさ」を自覚していた感触がない。
ぼくらは清水の把握とは「似ていなかった」。

どういうのだろう、
先に論及した「詩と思想」10号にあった70年代のひかりが
清水昶の文章の多くに欠落していて、
傍流詩人とわかい詩人を論じたときにのみ、そのひかりがにじんでくる。
その構造こそが清水自身の「くるしさ」と「その後」を
規定していったのではないか。
となると結論的にはやはり
この詩論集は清水昶の詩に似ているということになる。
ただその「似方」もまた「くるしい」のだ。

もういっぽうの【B】、菅谷規矩雄の『ブレヒト論』はどうか。
のち「造反教官」となる菅谷のドイツ文学への嫌悪がみてとれるその文面では
ドイツ革命→ナチス台頭→亡命→ハリウッドとの対決といった
ブレヒトを取り巻く個人史のなかで
とりわけブレヒトの初期演劇と詩業がつよい筆致で跡づけられる。
そして既存ドイツ文学者へのルサンチマンからか
ブレヒト論のキーワード「異化」には
なにか不透明な留保の施された立論がつづく。

当時の翻訳文献状況の限界なのだろうか、
ブレヒト的「異化」の本質がコラージュであり、
役柄の感情移入を廃した並立的概念化であり、
芝居時間のニューズリール化であり、
しかもその全体が「質問化」として機能する、といった
ロラン・バルト的な視座がすべて閑却されている
(これらがゴダールや大島渚の営為を枠づけするものだが、
ドイツ以外の「前衛」は菅谷の場合、
フランス「文学」者にほぼ限定されてしまう)。

バルトがおこなって菅谷がおこたったことは即座にいえる。
ここでも基礎文献からの例証手続きが稀薄で、
その結果、余計に付いた「澱」こそが
文脈の過度の抽象化と論争性なのだった。

野村修のような、基礎文献の丹念な解読によって
ドイツ革命後のドイツ思想をになった群像を
しかるべき空間に陰影化する手続きがほしいと当然おもうし、
長谷川四郎『中国服のブレヒト』のように
ブレヒトの赤化が中国の古賢とまじわって
どのように寓意的世界を織り成したかといった、
つまり「ブレヒトを救う」着眼もほしかったのだが、
ナチスへの対抗を傍観したブレヒトには
代わりに「生き延びる」「亡命者の思想」だけがあったと短絡されてしまう。

いまからみれば奇異なことだろうが、
菅谷のブレヒト論にはベンヤミンの名前も出てこないのだった
(晶文社の『ベンヤミン著作集』はもう刊行済みだったので
「ドイツ文学者」の位置からもう降りようとした菅谷の苦衷も推察できる)。

周知のように菅谷の興味は音韻論にその後移ってゆくが
そこでも彼は圧倒的な悪戦を繰り広げる。
そのさい散文でおこなわれただろうさまざまな立論が
菅谷の詩作そのものと似ていたかどうかは
菅谷の詩のよい読者ではないぼくにはわからない。
ただ知る範囲での印象では清水昶よりももっと「くるしかった」とおもう。
そういう苦衷を先験的に固定してしまった本として
菅谷の『ブレヒト論』はたしかに詩史的な価値があるともいえる。

そのなかで意外におおきな印象をのこすゴッドフリート・ベンは
とうぜん主体的な社会参加者ではなかったから菅谷の反面教師だろうが、
ブレヒトよりもベンに呪縛されたという意味では
菅谷にとってベンが自分の虚像だったともとらえられる。

【C】に分類した入沢康夫のふたつの著作は、
『校本宮沢賢治全集』の監修校訂者としての
入沢の知見が縦横にめぐらされたもので、
『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』は
賢治の手帖に殴り書きされた「雨ニモマケズ」中の
《ヒドリノトキハナミダヲナガシ》の「ヒドリ」が
「ヒデリ」の誤記かどうかをめぐってなされた論争文を集成している。

論争文なのに、エッセイの滋味をたたえ
しかも賢治の文献から「ヒデリ=旱魃」が
いかに「冷夏」と対句的にとらえられた兆候なのかを立証し、
またその書き原稿から、賢治の誤記の癖を図版として差し出し、
そのなかに「ヒドリ→ヒデリ」の例も散見されることを博捜するくだりには
推理小説的な蠱惑さえある。
なによりも入沢の散文の安定感が読んでいて本当に心地よい。

『ナーサルパサマの謎』はそれ以外の、
『校本宮沢賢治全集』ののちに生じた
賢治のトピックについて書かれたエッセイ集で
標題の文章に引用されている帽子屋さんの文章など、
素晴らしさが入沢さん本人にのみ帰着しない点にうつくしさがある。
そこでも安定的な、文章の確実さが胸をうつ。

さて、ここでは入沢文と入沢詩との分離線をしめすものとして
歴史的仮名遣いの有無について注意喚起したい。
周知のように入沢詩では散文形がもちいられながら
たとえば『かりのそらね』ではそれが本人的に詩に属するとあかすように
記述では歴史的仮名遣いがもちいられる。
その区別がなければ、一応は入沢文の安定性と
入沢詩の安定性は『かりのそらね』レベルでは
すごく「似ている」ということになる。

ぼく自身は歴史的仮名遣いの文章(岡井さんもそうだが)では
歴史的仮名遣いの発想が(たとえば石川淳のように)
あるべきだという信念があって、
入沢さんの歴史的仮名遣いはその使用に必然性がなく、
読んでいても現代的仮名遣いに置き換えて読む隔靴掻痒を感じてしまう。
つまり、詩である表徴として
歴史的仮名遣いがあるという解釈は誤謬だとおもう。

とうぜん記憶や伝承の危うさ、飛び火と、
論脈の一種の神聖な欠落のほうに
入沢さんの書くものの詩性が胚胎されていて、
つまりは近年の入沢詩の詩性は散文性からわずかに離れる、
主題選択と論述提示のなかにこそ宿っているという判断をもつ。
むろん詩的言語をどう創造するかといったラディカリズムのなかに
入沢詩の現在はほぼない、といっていいだろう。
これがいわゆる「学殖詩人」のとりがちな姿なのではないか。

【C】にもうひとつ分類した多田智満子『動物の宇宙誌』は
今回とりあげたなかで最も豪華絢爛で学殖的な本だ。
また日本語が達意だという点でも群を抜いている。

ありようは、「亀」「鶴」「イルカ」「馬」「牛」の諸動物が
日本、中国、朝鮮、インド、エジプト、ギリシャ、アフリカのなかで
どのような神話的想像力を吸いこみ、
諸伝承を異文化させていったかを博覧強記する本で、
文献博捜は見事の一語、澁澤龍彦にも書けない本だろう。

しかもそれぞれの動物の「形態」への実際的愛着から書き起こされている
女性的な観察の繊細さが心を打つ。
文中、一箇所にのみ南方熊楠の名が出てくるが、
そこから博物誌の書き手として熊楠の継承を意識していた点も確かだろう。

亀の所作が悠久性をそのまま幻想させるという示唆につづき、
「浦島」伝説のヴァリエーションを『出雲風土記』『史記』から明示し、
やがて地球を支える亀の幻想的属性を『楚辞』『列子』『山海経』から例証、
ついにはその亀がどう空を飛んでゆくかを
多田自身が羽ばたくように物語ってゆく冒頭三篇だけでも圧倒感がある。

「亀鳴く」ならば季語にもあるのだが、
亀が空を飛翔する神話的想像力の「妄想」を嬉々として列挙してゆきつつ、
鳴管がないから本当は決して鳴くことのない亀が
音を発する条件などもさりげなく書かれていて、
百科全書的記述からたくみにマイナスされているものにも
繊細な注意が必要なのだった。

こうしたあふれる学殖があれば多田智満子の詩も
絢爛豪華なバロック詩篇となったはずだろうが、
実際はほぼそうならなかった。
多田さんの詩は短く刈り込まれ、凝縮され、音韻性も抑制され、
その寓喩性と漂泊精神のうつくしさ遥かさのみがしずかに迫るものだった。

多田エッセイはたとえば『鏡のテオーリア』などにしても見事極まりないし、
その訳文もアルトーにしてもユルスナールにしても絢爛なのに、
多田さんの詩には絢爛も増殖もあまり感じられない。
なぜなのだろう、とおもう。

「自分」を限定づける態度が清潔だったためとしかいえない。
あるいは詩の権能についてのみは、
すごく古典的な見解を生涯保持したともいえるだろう。
多田智満子の場合、その文章の博覧強記と、その詩のさみしい清潔とが
「似ていない」ことこそが価値なのだった。
詩と文とを峻別する点では荒川洋治の立場にも似ていながら
荒川にない属性がその文にある――「絢爛さ」だった。

さて、これまでの【A】【B】【C】分類では
「泣ける」感触がなかったのだが
【D】に分類した野木京子さんの『空を流れる川』では
読みながらあやうく泣きそうになっている自分にびっくりした。

「記憶」をあつかった第一章のそれぞれの短文が
清潔で静謐でものさみしくて、
自分の幼年期に確実にいざなわれるのだった。
当然、さきに言及した井坂洋子さんの
『はじめの穴 終わりの口』も【D】なのだが、
もっと似た読中感のものがあったとおもいめぐらせて、
中本道代さんの『空き家の夢』(ダニエル社、04年1月刊)をおもいあたる。
そうしたら、案の定、その中本さんへの言及も出てきた。

野木さんの「必殺感涙文章」ならば、
集中「人形の行方」にとどめをさすかもしれない。
ひとの記憶の多くは起承転結の「結」部を欠いていると示唆されるのだが、
野木文によれば、

起:実姉が人形を可愛がりすぎている
承:母が姉の人形離れを促そうと妹の私を連れ人形を捨てにゆく
転:人形の紛失に気づいた姉が泣き、
つい私が真相を漏らし姉とその人形を探しにゆく
結:(ところが帰趨が判明しない――この部分のみ私の記憶が欠落している)

という、事実をもとにした記憶の起承転結分類なのだが、
ひとにとっての記憶は多くそのようなものではないか、といわれ
肝腎な何かをいつもとりのがしている人間の曖昧さ・あやふやさには
読者自身もおもいいたるだろう。

野木さんの出した結論はしかしもっと奥深い。
本当は人間の記憶のすべては
「起承転結」から「起」「結」をも差引いた「承」「転」でしかない
――なぜなら誰もが自分の「生誕」を記憶できず、
自分の「死」を体験できないのだから。

こうした「記憶」への想起があって、
野木さんの本は第二章の「ヒロシマ幻視行」へと移行する。
ヒロシマの被爆中心地は被爆の惨状を隠すために盛り土がなされていて、
土地そのものが死体や陶器などをうずめる記憶の器になっている。
そうした原爆の聖痕を訪ね、あるいは映画などにも接したのは
野木さんの一時の居住地が広島だったのみならず、
野木さんの文学的出発のひとつが原民喜への感銘だったためだ。
ぼくが先ごろ「詩手帖」の今年の収穫アンケートにあげた、
港千尋さんの『愛の小さな歴史』とも不思議な暗合があった。

ところがヒロシマを語る野木さんの声がひとつも声高でない。
惨禍を惨禍として引き受けつつ諦念しながら、
それでもなお惨禍から何かひかりのようなものが分離する、
その気配にのみ、そのからだ全体がひらかれている。

むろん失われたものへの痛恨は大きい。
ただし原爆の死者を総数でかぞえず、
そのひとりひとりを現出させる、という
石原吉郎的倫理が終始つらぬかれていて、
実際はその透明な語り口の奥には、つよい心が秘められている。

野木さんは言及されているものごとにたいし、
自分はこんな詩句を書いたことがある、と敷衍をよくおこなう。

その手さばきがじつに自然で、なぜそういうことがおこるのかというと、
書かれる文章と詩作のあいだに
透明性、抑制、悲哀、記憶の主題、ひそかな憤怒どれひとつとっても
乖離がないからだとおもう。
むろん野木さんの詩には飛躍も内蔵され、
文章よりももっと照射領域のながい余白も機能しているだろうが、
程度問題としてそれは文章にもある。
つまりその文と詩が「理想的に似ている」、ということだ。

上記分類の【A】【B】【C】系列ではたとえ類似があったとしても
その類似は透明でなく、したがって理想的でもないだろう。
野木京子さんはその意味でこそ「本格的な」詩人なのだった。
これがこの長文の結論。

最後にひるがえってすこしだけ自分自身のことをかんがえてみる。
ぼくも日ごろ詩作をおこない、
以前より減ったとはいえサブカル評論も書く。
ついこないだは長大なAV論と平岡正明さんへの追悼文が活字になった。

ところがサブカル詩がかなり蔓延する詩の現状にあって
ぼくの詩からはサブカル的語彙や発想がほぼ駆逐されている。
それでもたぶん文章のほうに
「詩にかよう」何かをつけ加えて、
詩と文章を似せよう、というおもいが働く。
それで文章に音韻をくわえ、
文章の根幹を詩想的なものに集中させようという努力もする。

ぼくの文章が体現したいのは
上記分類でいう【A】【C】だとずっとおもってきた。
むろん時代が変わったのだから【B】ではない。

ただし【A】のやわらかさは身体的にぼくにはないものだし、
【C】の学殖もまた、ぼくの生にはほぼ無縁なものだ。
サブカルというぼくの取り扱い対象そのものが拡散的で、
蓄積にはむかない、ということなのだろう。

そのときに【D】の系列の大切さを改めて野木さんに教えられた恰好だが、
これまた危惧が走る――はたして自分に、
あれほどの記憶力と、立ち位置の透明性があるのだろうか、と。
 
 

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2011年01月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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