一月十八日、お茶の水 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

一月十八日、お茶の水のページです。

一月十八日、お茶の水

 
 
【一月十八日、お茶の水】


ひとのながれへ消えていった
宵はどんなに流れであるのか
それでも顔みなが竿燈形にうかび
稲穂の記憶は風にゆらいでいる
摩擦のない街との過ぎ行きがある

胸におしとどめようとしても
あふれてしまう一月、万物の川
決壊がひかりの生き方であったとき
宵はなにかの鈍い反芻にすぎない
くろい空がとおくひろがる

それは-かつて-あったは今や
あるくまるごととしてただあるかれ
写真を撮りあうような往来だった
気配だけ浪費するよわい民族の共同
ひとらの眼が恥じて伏せられた

べつの言い方も呼ばれるだろうか)
あるくのをやめられないが
移動の生じないようできないかと
このからだが抵抗していた
それでも万有の速すぎることはない

夢遊をおもわせる、場所の橋
かぞえに先行しているのは漂泊だ
またも別れが予行されるだろう
街灯にてらされる一瞬が共有され
影が錯交するのをその宵にみていた
 
 

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2011年01月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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