きみの机に春がきている ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

きみの机に春がきているのページです。

きみの机に春がきている

 
 
【きみの机に春がきている】


あきらかな太陽と
あきらかな影とが
よりそっているなかにしか
ぼくという棒はあるいていない
あえぐほどの、というほど
おおげさでない犬もあるけば、だが
棒にはあたらずに
ふくらんでいる外の
継ぎ目のようなものへとはいる
だれの目だろう
そのなかで思い出になるには
ぼくの手足が鏡に似すぎていて
けっきょく空の色を拝借し
ほのあかるむ残存となるしかない
なぎさがむかしの散歩みち
あるいはぼくがあるくことは
二匹の犬がひとすじになることで
この世の中間のなかで
身の中間を排除することなんだ
いつもきみのそばをあるいているのに
いつもきみのなぎさをとおっているのに
ぼくは歩数にしかならない
ものおとにも霊性があることを
鏡があるき世界をふやしていることを
犬とぼくがおなじ場所で点滅していることを
おそらく春というんだ
きみの机にはかこまれてひびくこだまがある
やなぎのおもかげもあって
机にむけくもりがらすが叩かれている




未明に本日分の卒制チェックをおこなったあと朝寝、
起きてからは今日の課題の
「かいぶつ句会」寄稿用の俳句づくりをした。

自分でいうのもなんだが
おどろくべきほど冴えていて恐くなった(笑)。

それでふとおもいだす。
自分のサイト中の
「句集」と「かいぶつ句会エッセイ集」を更新していない。
去年の「かいぶつ祭り」で出した句とエッセイだ。

いま更新をしたので
ご興味のかたは「阿部嘉昭ファンサイト」の
「未公開原稿など」の欄をごらんください。
エッセイは安井浩司を書いています。



お報せついでに。
岩波書店の「日本映画は生きている」シリーズ第八巻
『日本映画はどこまで行くか』が
シリーズ完結本として
とうとうできあがりました。

ぼくは四方田犬彦さんと黒沢清監督にインタビューしています。
題して、「世界化と廃墟の狭間で」。
昨日この欄でご紹介した『ゼロ年代+の映画』の座談会よりは
ぼくはずいぶんとおとなしく喋っています。
ご興味のかたはぜひこちらも書店で覗いてください。

ともあれこれで
ぼくの「日本映画は生きている」シリーズへの登場も
計三回となった。
あらためてしるすと、

・「日本映画は生きている」第一巻『日本映画は生きている』中の
「メディアがあたえた映画の組成変化とは何だったか
――〇〇年代の「東宝的なもの」をめぐって」

・「日本映画は生きている」第七巻『踏み越えるドキュメンタリー』中の
「ドキュメンタリーとしてのアダルト・ビデオ」

・「日本映画は生きている」第八巻『日本映画はどこまで行くか』中の
「世界化と廃墟の狭間で」

となります。

学生の映画研究者には必携どころか
一般映画ファンが読んでもおもしろいシリーズ企画。
ぼくが登場する以外の巻もどうぞ手にとっていただければ



本日の詩篇は、「あるき」から
吉田拓郎「春だったね」へ領域ののびた詩篇となりました。
なぜか音楽的発想のつづく今週
 
 

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2011年01月28日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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