動物番組 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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動物番組

 
 
【動物番組】


ある哀しみにとって冬のさむさをみる単純で厳粛な装置が動物番組
だとして、そこではたえず律動が無数の動物体を媒介にたましいの
ないひかりの狂奔としてみられ、それに終末的な大喧騒がさらにと
もなっていれば視聴者の眼を水でかわかすにも申し分のない管弦楽
だ。たとえばこの星の北端の極光がひかりの内側においてひかりを
たえずめくるむなしい開陳だということすら、海鳥が海中を驀進し
て魚を捕食するようすとおなじ層にあつめられて莫大なるものの自
転、その内実をつくりあげ、なにか数というものが固体性をはなれ
た滓や粒からしか形成されない図形の諦念までもがてらしだされて
くる。あらゆる図形が風に浮き微細にゆれることでようやく図形と
なる発現の奥行きというものが再帰的にあれら風のなかにある。人
間が通常おりなす物語の質にはその者の特性とかかわる恋愛とか破
滅とか彷徨などがあるだろうが、そういう物語に飽き、個体の強弱
と経年だけが決定項となり崖や海流や温度をつうじて生命の推移が
数量内外に還元されてしまうだけの世界をみると、一集団の離散と
集合が他集団のそれらと出会う運動論的な確率だけが魔物の貌のよ
うにあって、その図像も誕生なり死なりが極点からの分布として点
在する抽象画の領域にのみいつもひろがっている。一個体をたまた
ま襲う非運というべきものすら点滅性の本質のなかでうべなわれて
ゆくと気づけば、動物番組とは残酷とむすぶなにかの呼気とともに
いることをさそう敬虔な宗教番組でもあって、けれどもそこで一視
聴者が感覚の全体になるのか無になるのかが一概にはいえない。た
だ哀しみのこぼれを多量性として一切まぶしくみているだけなのだ。
 
 

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2011年01月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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