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近況報告(ひとり多いこと) ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

近況報告(ひとり多いこと)のページです。

近況報告(ひとり多いこと)

 
 
連日、入学試験監督とその後の飲み会で
まったく寧日がなく
パソコンに向かう時間もひどく限定されてしまった。

金曜日は入学試験監督後
ネット詩誌「四囲」三号の完成記念の飲み会だったが
廿楽Jr.とその友人の楠くんというわかい面子が乱入、
映画と現代思想について喋らされてしまった。

川島雄三論とかぼくの映画評論のファンならば
垂涎の話題のはず。
通常、この手の話をするときはぼくはカネをとるんだけど(笑)、
廿楽Jr.が後述する
岩波『日本映画は生きている』シリーズ完成イベントに来てくれたので
ゆるしてあげよう♪(彼は入場料を払ったのだから)。

土曜日は入学試験監督のあと
小池昌代さんと長い「お茶」。
かんがえてみると
「阿部さんは○○したほうがいいよ」といってくれる貴重なひとだ。
ともあれぼくについての結論は
もし来年度、大学教員の職が途切れたら
「書くしかない」というものだった。
ぼくが自分の書くものの改変計画について語ると
小池さんは賛同してくれた。

驚いたのは、小池さんのほうが
ネット親和性がぼくより高いかもしれないこと。
小池さんの「計画」をここで喋々する気はないが、
ひとつだけいうと、小池さん、ツイッターをやっている。

日曜日は岩波『日本映画は生きている』完成イベント。
その後はパーティで
ぼくは旧知の内藤誠監督、黒沢清監督、
それにはじめてじかに接した松本圭二さん、佐藤雄一さんと
延々話していた。

松本圭二=偏屈、という「都市伝説」は飛び交っているとおもうが、
爽やかでユーモラスで展開の速い男にすぎない。
「詩の趨勢を冷笑している」なんてのもあくまでも常識人の範囲。
詩集送付を約束させられてしまうが、
じつは送っていたのではなかったかなあ。
ちょっとこっちも記憶が曖昧だ。

黒沢清さんとの話で最も面白かったのは
蓮実さんの『映画崩壊前夜』所収の黒沢作品評を契機にした話題。
慧眼にも蓮実さんは『ドッペルゲンガー』評で
ドッペルゲンガーが役所広司とともに
永作博美の弟役まで配されていて
「ひとり多い」「過剰」を問題にしていた。

この構造は黒沢清作品の多くに当てはまる。
たとえば『CURE』では萩原聖人とともに中川安奈と
「秩序壊乱者」が「ひとり多い」し、
『叫』では葉月里緒奈と小西真奈美というように
幽霊のかずがひとり多い。

あるいは『LOFT』では
幽霊とミイラという正反のものが重複している。
さらには『降霊』では風吹ジュンの役柄属性に
「被害者」とともに「予知能力者」という
ひとつ余計なものがくわわっている。

黒沢さんは「ひとり多いこと」を
『羊たちの沈黙』の「レクターとバッファロー・ビル」から学んだという。
「ひとり多いこと」が物語を生気づける、と黒沢さんがいった。
つまりそこから「場」をめぐる
生態系的な葛藤が生じるということだろう。
黒沢さんの場合、その「場」は「映画」そのものとなる。

生物知覚的なものに物語体系を閉じ込めてしまうとき
そこに鼓動生成的な閉域ができ
それが実際に無前提に「世界」に格上げされてしまうのが
カフカ的寓喩の本質で、
周知のようにぼくはそこから以前、
「ユリイカ」の黒沢清特集で長論を書いた。

そうした寓喩における動物(磁気)性は
「ひとり多いこと」が単純に展開しだす物語葛藤とも等価だ。
しかも「ひとり多いこと」のほうが説明が簡単なのだ。
だからそれを指摘する蓮実さんも、
それをもともと自覚していた黒沢さんも
物語についての慧眼をもちあわせていることになる。

カフカについては「よい読者ではない」という
黒沢さんの説明は変わらなかった。
ただ日本ではなくグローバルには
カフカとの類縁をよくいわれるという
(つまりぼくの黒沢論はグローバルだったということか)。

黒沢さんは、ひとの書いた自分の評論を読むのは
映画作家としてはけっして
気持良いものではない(褒められたものでも)が、
「阿部さんの書いたもの、読み直してみます」といってくれた。

内藤誠さんは今年六月公開の
色川武大の小説を原作にした映画が完成間近だという。
これは本当に愉しみ。
阿佐田哲也原作の映画はあっても
色川武大原作の映画ははじめてらしい。

内藤さんが二十四年「ぶりに」劇映画を撮り、
黒沢さんが三年「も」映画企画が通らない--
映画の世界にはいつでもそういう恣意的な「偏差」がある。
だから映画が「人生」に似るのだともおもう。

月曜日は入学試験監督の合間
おなじく試験監督に来ていた篠崎誠監督と
ひさしぶりに話す。
彼の次回作の話がとくにおもしろかった。
おバカで自虐的でジャンル横断的な中篇と総括できる。
篠崎さん、「物語」を話すのがうまいなあ。

その後、「かいぶつ句会」の句酒会。
もう眠くて辞退しようかな、と試験監督の合間
小池さんに研究室で話しつつ、
「仮病をつかうと運が落ちる、とウチのオフクロがいってたから
やっぱり句会に行く」と最終的には表明した。
小池さんは「お母さんとかおばあちゃんからの伝承とかで
阿部さんはときどきおもしろいことをいう。
そういうのも書いたらいいのに」といっていたなあ。

時間調整で合間にドトール読書。
池袋ジュンク堂でようやく買えた
粕谷栄市『遠い川』を一気に読み干してしまう。
物語性があって、それが崩れて、という仕掛けの散文詩が並ぶが、
同工異曲のようでありつつ偏差が確実にある。
しかもそこに悲哀を読んでいる。
そうか、「ひとつ多いこと」をやはり読んでいるんだ・・・

途中から雪がふりはじめた
ホワイトデイの句酒会だったが
体調不良をおして出た甲斐があったかも。
拙句《鳥類みな空にある日の鶯菜》が
ぼくとしては初めての得点第二位句に評価されたからだ。
ただし、「鶯菜」は臭い、と忠栄さんらの難詰が入る。
そのとおりだよ、とぼくもおもっていたのだけども(笑)
 
 

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2011年02月15日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

 
あ、松本圭二からは
『城之内元晴回想文集』をもらう。
念のためいうと城之内は
足立正生らを輩出した往年の日大映研のひとり。

城之内の詩的フィルムは
松本圭二の勤務する
福岡のフィルムアーカイヴに
全寄贈されたようで、
その見返りに松本圭二が
この『回想文集』を編集した。

城之内そのものが希少価値なのに
松本圭二も希少価値。
このくっきりとつくられた冊子も
松本の詩集とおなじく
今後プレミアムとなるのだろうなあ
 
往年の『ジライヤ』の大和屋竺特集をおもった。
あれは平岡正明が幾度も言及していたっけ
(ぼくの掲載原稿に平岡さんへの言及があって
ぼくが送ったのだ)
 

2011年02月15日 阿部嘉昭 URL 編集












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