自己確認メモ6
書評用の本を打っ棄って
岡崎京子『東京ガールズブラボー』上下を一気読み。
しかし平日午前に旧いマンガを読んでいる50代のおれって誰だろう?
岡崎マンガは、テクノ/ニューウェイヴ音楽、ディスコ、
当時の華やかなマガジン、ファッションブランドなど
「文化記号」をデフォルメというほど全篇にちりばめた作品で、
都立女子高生のオサレぶりも、性的狂奔も満載されている。
音楽にしてもマガジンにしてもブランドにしても
「ああ、聴いたなあ」「あったなあ」と記憶の奥底が点滅して
いま読むとぼくの世代なら完全な懐旧気分にいざなわれるだろう。
むろんそういった文化記号に翻弄されながらも
空をみて心情の真実に気づくガーリーな箇所などが見所で
(そこでは先駆的に東京タワーが象徴記号になっている)、
卓抜なストーリーテリング、キャラの描きわけも相俟って
いまからおもうとカタログ空間なのに見事な「リアル」があった。
そう、80年代カルチャーカタログとしての
変化球の少女マンガ。
当時の「ギャル」が熱狂するのも、うなづける。
この本の巻末にはいかにも、という感じで
その岡崎さんと浅田彰の電話対談が載っていて、
80年代は経済的下支えをうけながら
文化記号を享楽的に消費しつくした時代であっても
「こんなことつづくはずがない」と
絶望の手前でヒリヒリしていた人々の行動様式が
これまた適確に語りつくされている。
で、80年代が詩にとってなにかというと
ともあれこのような「狂奔」と「記号性蓄積」が
詩作に「下手さ」と「(密室的)鬱屈」を
もたらしたといえるのではないだろうか。
80年代はもうギャルと音楽家と広告屋の時代であって
詩作者からはアドバンテージが消えてしまっていたともいえる。
逆にいうと、頽落するまえ--70年代までの詩は
技術的には完成されたものが多かった。
60年代的狂奔が自省モードにはいったときに
技術の再枠づけがなされ、
しかも詩はまだ謙虚で、日常もしくは身体を離れなかった。
それで詩の主体は多く地上存在性を保ちながら
そこから地に足のついた技術化が練磨されたのだ。
そうそう80年代、「麒麟」の詩をみて
詩がとつぜん下手になった、と驚愕したことがある。
むろん70年代は革命衝動が壊滅した「逼塞の時代」だった。
ところが身体が詩作の基盤だという点が反省されたので
その逼塞には吹きつける風も照らしだす陽光もあった。
ぼくは時代を伏せられた詩を判断するときに
そこに身体/陽光/風の所在をたしかめることがあるが、
そうするとその詩が70年代につくられたか否かで
たいていは正答をだす自信もある。
大きいことは80年代に詩作者が「下手」になったことだ。
趨勢でいえばこの傾向は
90年代から10年代までつづいている。
だから技術的に申し分のない詩作者が
例外視されて重宝されるのだし
その詩作者にいつでも70年代の影をもみてしまうのだとおもう。
70年代の詩の技術は二層ある。
まずは当時の一般的な若者。
松下育男でも高階杞一でも三橋聡でも
自ら巧者であることが「哀しい」という筋合で
それが軽くあっても詩は切羽つまって書かれていた。
この傾向にはすこし年長に泉谷明などがいたし、
すこしポジションがちがえば、つる見忠良などもいただろう。
なにしろ石原吉郎が生きていて、吉岡実や会田綱雄が元気で、
しかも渋沢孝輔や安藤元雄など
フランス文学系も活躍していた時代だったから
若年の詩の場所もいまでは考えられない緊張感があったとおもう。
佐々木安美の当時の詩作がまだ確かめられないのが残念だ。
もうひとつはそうした当時の若者の「現状追認」にたいし
さらに反逆を志した若い詩作者もいて
それが当時の「詩作変革」の中心になった。
荒川洋治、平出隆、稲川方人、山口哲夫などが主要だろうが、
彼らがどれほど不機嫌に詩文法を破壊し、
詩をみたことのないものに変貌させたとしても
そこにもやはり身体/陽光/風があった。
これらのひとこそが途轍もなく「詩がうまかった」。
このふたつの中間域にあったのが
当時あたらしいかたちで勃興してきた
女性詩だったかもしれない。
『朝礼』の井坂洋子は
主題的にも語法的にも身体的にも颯爽としていたが、
ここではじつは川田絢音などの先駆者がいる。
詩の「うまい/下手」は
本質的な問題ではないといえるかもしれない。
「下手な詩」の凶暴さのほうが胸をうつ場合が多々ある。
それと彫琢の意志が、詩を窮屈にし、
かつ文学領域への差し戻しをする場合もあるだろう。
ただし現状の強圧的な詩は、
一種の冒険主義によって自己裁定を棚上げし
生じてきた可読困難性によって自らを演出・留保するものが多い。
実際は語法が幼く、だらしないのに、
引用系などでコワモテになる機微にだけ通じてしまい、
手もなく年長者を籠絡させる。
『孤絶-角』などを想定すれば充分だろう、
じつはあれはただ「だらしなく」「下手な」詩なのだ。
ぼくは『昨日知ったあらゆる声で』で詩作者デビューしたとき
70年代っぽいと多方面からいわれた。
詩作空白期があったので自己形成期だった70年代の空気が
いまだ純粋にまとわれているのだろうともいわれた。
ただ『東京ガールズブラボー』で
一旦80年代をなつかしんでみて気づく。
80年代の狂奔によってたぶんぼくの詩魂は死滅したのだと。
そのようにしてぼくは詩作を80年代に実際やめている。
となるといま70年代を志向するということは、
身体/陽光/風、と同時に
詩に本来的にありうべき技術を志向している、
ということなのではないか。
詩を「かつてあったもの」に復そうとするのではない、
逼塞にたいする身の置き方として自然に70年代詩が参照され
そのときの身体がなにを葛藤していたのかだけが
いまも「現在的な」問題になる、ということだ。
詩の賦活する時空が「いま/ここ」でない、
この齟齬の感覚こそが重要だろう。
以上、岡崎京子『東京ガールズブラボー』を読み
あたまに去来したことをスケッチしてみました