自己確認メモ7
理解とは他者性に同調するための
観察と対面の様式だろうが、
その際には他者性の組成と展開から
自らもが組成・展開されることが必要となり、
結果、真実の理解は自他の弁別を超えて透明化する、
あたかも水にも似た流動自体へと昇華されてしまう。
そうなるとそこではむしろ理解がおこなわれていない。
シンクロナイズが昂じ
世界空間を同時性のみでおおうような神の方式で
偏差の消滅がただ自他をあふれたのだから
実際は観察と対面という理解の前提まで
うつくしく崩れたとするべきなのだ。