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Out on the weekend ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

Out on the weekendのページです。

Out on the weekend

 
 
女房との週末の過ごし方を変えた。レンタルDVD三昧。
リチャード・フライシャー『絞殺魔』は久しぶりに再見。
例の分割場面に「シミ」(ヒッチコック/ラカン)を置く方法以外に
死体がカメラのローポジションによって消去されるのも
一種の戦慄的な「シミ」となっていた。
フレームのいちばん両端に開いた女の脚がみえたりもして。
それらがあって取調室、ピーター・フォンダの前で
トニー・カーチスの「回想」中に「脱論理」まで現前化する。
つくづく凄い映画。
『羊たちの沈黙』も『CURE』もこの映画の組み換えだな



見逃していた『第9地区』も観た。
エイリアンをアリバイに流民間の差別連鎖をえがく政治映画なのに
実際は笑えてしまう。フェイクドキュからSF、
スプラッタ・ホラー、正統西部劇へとジャンル横断も鮮やかだが、
『スターシップ・トゥルーパーズ』以来のメタファーの過剰化という
真にクレバーな事態まで起こっていた。
エイリアンは胴をえぐり、口と鼻のところの触手の蠢きがあればリアル。
こいつも安価ながらお見事だった。
ギリギリで「かわいい」ラインにエイリアンの造型がブレる。
ナイジェリア人の扱いでも同じで、監督はただのオタクじゃないな



さらには見逃していた『グラン・トリノ』を観る。
住民老齢化によってアジア系移民が入ってきた郊外を舞台に
イーストウッドが老齢の「正義」を体現するマッチョ映画なのだが
実際は「家のファサードを横に意識すること」と「前方に意識すること」、
このふたつから緊密にカメラワークが組織され
そのなかで二人の人物が同一ショットに収まるか/収まらないかで
アクションの帰趨が決定してゆく、カメラワークに厳密な映画だった。
しかしアメリカ内「モン族」を視野に細かに置く作劇には
東洋人差別などありえないだろう。
それもあって悔恨をえがく映画から歓待をえがく映画へと昇華した
 

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2011年02月28日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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