地震後におもったこと
11日金曜日、地震発生時刻のぼくは
レンタルCD屋に梅見がてらCDなどを自転車で返却し
帰宅してニーナ・シモンなどを聴き
ちょうどくつろいでいたところだった。
地震が起こる。いつもの習慣で即座にTVをつけた。
揺れの感触からたぶん東北地方で大地震が起きたとはおもった。
案の定、津波警報がけたたましく報道されている。
地震はいつもとちがい、なかなかやまなかった。
居間から退避。一分ほどして横揺れがさらにつよくなると
本棚の上に積み上げていた本やビデオが次々と落下しだし、
その音のつくりあげる聴覚的惨状にまず動転してしまった。
じっさいものすごい音だったのだ。
部屋はたちまち足の踏み場もなくなるほどの狼藉状態となった。
しばし茫然としていた。即座に女房へ電話をかける。
ケータイがつながらないので家電話で女房の会社電話にかける。
むろんこれもつながらない。
一時間以上経って大阪の女房の実家から電話がやっとかかった。
三角形伝言で「女房は無事」の報。こちらも無事をつたえた。
古い建造物にいる女房は余震を怖れ同僚と会社を引き上げた。
偶然会社を出てすぐにタクシーがつかまったが、
渋滞に巻き込まれ、帰宅に四時間かかった。
車中からのケータイ電話のやりとりもむろん無理だった。
素晴らしいニーナ・シモンはステレオから鳴りつつづけていた。
停めなくちゃ、と気をとりなおしたのは30分ほど経ってから。
それまではTV画面の推移に釘付けだった。
ぼくはTVに呑まれた。TVにヤラレた。
悲哀と衝撃のあい混ざった形容しがたい感情で心が焼き切れそうになっている。
女房を迎え入れるため台所までと玄関までの通路を確保しようと
余震におびえながら本とビデオを片付けはじめたのは
ニーナ・シモンを停めてから。
動きが鈍くなっていたのか、片付けには三時間ほどもかかってしまった。
目盛りを一挙に大きくして、
まずTVが何をつたえたかを以後数日単位で振り返ってみよう。
最初はヘリコプター空撮による津波災害の伝達。
黒い巨波が海岸の堤防を越え、町に侵入、
家屋をくずしクルマを巻き込みながら山側にどんどん浸潤し、
凄惨に「町が消える」詳細が如実に捉えられていた。息を呑む。
水が押し寄せているのにところどころ火も噴き上げている。
災厄は感覚に神学的問題をまずもたらす。
道義的に、「これをみていいのか」という問題が惹起される。
恐怖のためにそれを見ていたとしてもどこかその恐怖に
「見ることの欲望」「その無際限」も連絡してはいないか。
見ることがそのまま自己検証へも反射してくるのだ。
9.11や戦争時の爆撃映像、
あるいはスマトラ沖地震の津波映像にしてもそうだが、
正常な映像リテラシーがあれば、
映っている画像の刻々に「人の死」が、明示的/非明示的の区別があっても
徴候として刻まれている。それは「客観映像の精確性の病」ともいえた。
神学的な問いかけとは以下の局面で出る。
「人の死」を無意味にしないためには神学的枠付けが要る。
石原慎太郎はこの地震と津波は、
物質文明と個人利益に胡坐をかきすぎた者への「天罰」だと
例のごとく暴言を吐いた。
死と艱難はまず被災者に適用されるのだから
そこに神学的有意味性を探ろうとしたとしても
この「天罰」の用語は明らかに逸脱している。
対象がずれているのだ。
彼は東北太平洋岸の被災者を飛び越えて
「性急に」都民や国民一般の驕りをたしなめようとしたはずだが、
その「飛び越え」に被災者無視の自己中心性がすでに露呈していた。
それと「諫言者」のポジションをとったことでもその傲慢は明らかだった。
映像を見る者には、見ることの自己中心性が審問にかけられた。
大量に人が死んでいるのは明らかだという判断になって
その「事実」を、自己中心性は「神学的に」有意味化できない。
阪神淡路大震災の前例があって、
ぼくの思考にまず去来したのは以下のようなことだった。
たとえば神戸市長田区の靴製造を中心とした零細な町並みは
「復興」にしたがって気味悪く平準化されてしまった。
そこに多くのひとが戻れなかった。
復興を名目にして区画整理がなされたとき
行政の不備が祟って、土地保有者が更地をもったまま家も建てられず
ずっと借金漬けになってしまっている例もある。
日本の「戦後復興」とはちがい、
確率的な非運が決してリカバリーされないというのが
バブル崩壊と互助システム不全後の日本の現状だった。
となると、今回の東北関東大震災の被災者の確率的な非運も
さらにリカバリーされない、というのが被災の唯一の有意味化ではないか。
不幸は新たな不幸を呼ぶだけになる。
そうおもうと、心はいよいよ暗くなっていった。
ぼくは三陸を数年前、女房と旅行したことがあった。
リアス式海岸は風光明媚で、三陸鉄道は景観随一ともいえる車窓眺望だが、
個々の港は海にむかって孤立的にひらかれるだけで、
陸路による相互の港の連絡はままならないだろう。
魚は美味だが、どの町もメンテをなされずに古く、
高齢者の比率が高いのも町を歩けば即座につかめる。
地方格差の象徴のような広大な一帯なのだ。
岡山側/大阪側の左右から救援物資が迅速に届けられた往年の神戸に較べ
東北の太平洋岸は地勢的に即座の支援が困難だろうとも予想された。
映像リテラシー的な話をつづけると、
第一次被災映像は空撮中心で、
その俯瞰空撮には実際は撮影主体の署名がない。
「純粋客観」ともいえる中立的画像は、
事象の災厄性を自己破裂の直前まで飲み込んで、
見た者をただ茫然自失させる。希望の徴候が一切そこにない。
TVが次段階で組織したのは、被災者が提供した津波の襲撃映像だった。
そこでは災厄がより間近になり、人々の逃走など迫真性を加えているが、
「この映像を撮った者は生き残っている」という枠付けも生じているので
実はそこに希望の徴候が灯りはじめている。
数日経って水がかなりひいた。街区も農地も瓦礫の山。
火災の継続する箇所、新たに湧き上がった箇所もあるが
そこでは現地に足を踏み入れたTV局報道班の息遣いが裏打ちされ、
実際に「事実伝達」のことばが映像に付随している。これも希望の徴候。
ただし、そのあと「被災者に迫る」要請がさらに生じると、
映像は被災地に茫然と立ちすくむ人を捉え、
そこで肉親の行方不明や死の物語がかたられだし、
さらには避難所には老齢者や病者などの経済弱者が
緊急的に結集しているようすが冷徹に捉えられる。
救援物資の到達以前に、その人口分布によって
「地方格差」がそのまま惨たらしく映し出されていて、
またも希望には際限なく暗色が加えられてゆく。
なぜ地方は東京とこれほどちがっているのだろう。
救援道路を確保しようと
うずたかく散乱していた瓦礫がTVの報道班の入りこめる場所では
たった一日程度で除去されていた。
全国から結集された自衛隊員、消防員の処理能力の高さがつたわってくる。
最初に書いたように東京在住の者でも
地震の揺れのすさまじさが体感として伝わったから
まずは今回の震災を「自分のこと」として語る風潮はあった。
事実ぼくもそうだった。
ぼくは現在、「日々の近況」をFacebookで、
「自発的かつ小品的作品」をミクシィに、というように使い分けしているが、
Facebookに書けることは地震発生時の衝撃、落下物の整理、家人の帰宅困難ぶり、
電車の乱れ、計画停電への不安など「誰でも書けること」にすぎず、
日本的ソーシャルネットワークにおける
コミュニケーションの「自己中心性」など
実際の今回の被災地に現れている惨い「地方格差」の前では
決して神学的に「有意味化」できないだろうと意気阻喪したのだった。
かといってミクシィなどにいつものように詩篇を発表できるわけでもない。
ぼくは四行の詩を一回書いただけだ。
四川大地震の際の日本の詩作者たちの哀悼詩の
気味悪い(戦時の「辻詩集」をもおもわせる)愚劣さも記憶に新しい。
それでぼくは沈黙してしまった。
海外在住のひとなどは
なぜ日本人はFacebookで近況書きをやめてしまったのかと
心配しながらも怪訝になっていたが、
大方、ほとんどのFacebook利用者もぼくと同じ心情だったのではないか。
つまり自己中心性が審問にかけられたのち打開ができなくなっているのだった。
今回の大地震では問題が生じていながら糊塗されていた多くが
一挙に縮図的に露呈してしまったという印象を受ける。
狭量の総理大臣は自分の内閣の意味が危機管理内閣、復興支援内閣に変貌して
自分の延命が決定されたと欣喜雀躍したかもしれないが、
あとに述べる福島第一原発の問題処理で
またもや当事者性の欠如を問わず語りしてしまった。
内閣は「死んでいて」、死んでいるまま救援と問題処理に臨んでいるにすぎない。
露呈したものは先に幾度か書いた地方格差もそうだが、
たとえば自衛隊の処理能力の高さは
自衛隊を世界に、Japanese Forceとして印象づけただろう。
アメリカは普天間基地問題で狂った極東のパワーバランスを
第七艦隊の三陸沖での結集で復旧しようとしていて
中国とロシアはそれに「支援」で対抗しようとしている。
つまり帝国的覇権主義の矛先という日本自体の地勢感はよりつよまった。
そしてぼくのレベルでいえば、
都市的生活者の自己中心主義、その無効性が最も表面化されたのだとおもう。
東京でも地震による死者は出た。さらには幕張地区などでは
深甚な液状化被害も報告されている。
ただし報道と人心は一般消費者がスーパーなどで
不安心理に駆られた「買占め行為」をしている点に
安直に非難の照準を合わせたようで、これがぼくにはじつに奇妙に映る。
蓮舫大臣は「そうした買占め行為によって
救援物資が被災地に行かなくなる可能性がある。
一体、なんでスーパーで鶏肉や豆腐が売り切れているんですか」と
例の「二番じゃ駄目なんですか」とおなじ当事者性を欠いた、
しかも居丈高な調子で一般消費者を難詰した。
信じられない想像力の低さだとおもう。
一般消費者の家庭は家人の出勤が困難になった。
したがって家族在宅率が高まった。
しかも停電不安がある。水の供給が切れる可能性もある。
そうなると家族でガスボンベをつかった鍋料理をしようと誰もが考える。
その意味での単純な鶏肉と豆腐の払底にちがいないだろう。
大体、蓮舫は物流にかんするリアリズムを欠いている。
供給不足を見込まれる電力が「計画的に」地域間で消費調整されるように
物流配分もすでに被災地/都内間で調整されているはずだ。
つまり一旦スーパーで売り棚に置かれた米袋が
トラックに戻されて被災地に送りこまれることはほとんどなく、
被災地には被災地用の救援物資が確保されているとみるべきなのだ。
その被災地に物資が届かないのは、ガソリン不足と道路の寸断、
あるいは福島第一原発半径30キロ内では交通規制によるもので、
これは実際は民主党が、乱れに乱れた物流径路を整備できないためだろう。
都内も深刻なガソリン不足に見舞われているが、
GSにあるガソリンを再結集して被災地に届けようという
非現実的な動きが画策されているわけでもない。
石油会社は被災地向けのタンクローリーを用意しているが、
それが被災地に届けられないのは、
タンクローリーに入れるガソリンが不足しているわけではなく
これまた被災地の物流径路が分断管理主義によって未整備のためにすぎない。
スーパーは即座に
「米一袋」「パン一斤」「カップラーメン四個」「牛乳一本」などと
買い物の際の個数制限を買い物客にアナウンスしていた。
買占め行動が顕在化してすぐのことで、蓮舫の難詰より先だった。
スーパーを梯子したり、一日に何回も行ったりして
たとえば米を三袋買い占めた主婦がいたとする。
その主婦はとうぜんその後は米を買い占めなくなるだろう。
米は毎日入荷され、たまたま「ある日」米を買えなかったひとも
翌日か数日後には米を買えるようになる。
一部を除き東京は直接の被災地ではないのだから
物余りの現在においてはそういう物流構築も可能なはずだ。
なるほどスーパーに出かけると
憑かれたように買い物籠に
不用品まで満杯に商品を入れているひとも見かける。
たとえばその主婦は自宅にいつしか米が三袋あるのに気づき
自分の所業を自嘲的にわらうだろうか。
彼女らの言い分だって代弁できる。
福島第一原発の火災、爆発による放射線量の増加は関東一円でも計測された。
だからもし原発で大規模な炉心溶融が起これば
関東でも被爆の危険が生まれ自宅退避が長期化する可能性がある。
そうなったとき家族を守るため米を買い占めたことを
誰が非難できるだろうか。
問題が、彼女たちの妄動(それ自体は傍目には恥しいが)ではなく、
原発事故を当事者性のないまま
東京にいて間接管理だけしている東電管理者の事故報告の不要領、
さらにそれを鵜呑みにする民主党とが相俟って起こる
不安の醸成にあるのは確かだろう。
それよりもネット上で、
原発不安にかかわる流言蜚語が飛び交ったのと同等のレベルで
「買占め行為はやめようよ」という呼びかけが起こったのが面妖だ。
自己中心的な言説がネット上で無効になって失地回復するために
そのような言辞が蔓延しているのだとおもうが、
救援物資の被災地への不足は買占めとは別次元の問題。
それをいうべきなのに、非難対象が錯誤してしまっている。
これは石原慎太郎が自己中心性により対象への用語を誤ったのと
似た問題を形成しているとぼくはおもう。
福島第一原発での事故はとうぜん深甚な問題だ。
これは「倫理として」現在の放射線放出量が
人体に影響をあたえない微量だという東電側の報告を鵜呑みにするしかない。
それでもこの問題は風力、太陽光とともに
クリーン発電である原子力発電に主軸を移そうとしていていたアメリカなどに
大きな関心をもたれ、米軍が事故収束に関与する可能性も出ている。
問われているのはまたしても日本的な問題だ。
原発は税収と雇用のない県が招致した。
原発での労働者は被差別的扱いを受けている。
しかも被爆国の日本は放射能アレルギーが元来高い。
現在の半径30キロの結界のなかに
救援物資運搬車が入ろうとしないのはそのためだし、
避難所に到達した避難者の「クリーニング」も
「穢れ」を掃うような前近代的扱いを受けているという。
そうした原発だから東電は管理を現地労働者と下請けに任せた。
そのため事故の現地目線での詳細な把握ができず、
会見がしどろもどろになって視聴者に不安を煽っている。
銘記すべきは、東京の電力を、海岸をもつ貧困県がまかなって
東京の人間がそれを自明視している点だろう。
アメリカは原発にかかわる「格差」を危険視して、
放射能量までもをいまや自己調査している。
ともあれ福島原発の実際の労働者は地方格差中の最大の弱者だ。
「敗者は映像をもたない」というのは
往年の大島渚がしめしたテーゼだった。
「大東亜戦争」にまつわるアーカイヴドキュメンタリーをつくろうとしたとき
日本の敗色が濃くなってからの戦争映像は
すべてアメリカ側が撮った映像に頼るしかなかった。
イランの映画監督モフセン・マフマルバフは
アフガンの仏像破壊映像に世界は震撼したが
それを呼び出したアフガンの貧困の映像を
それ以前、世界は決して撮ろうとはしなかったと注意喚起した。
日本は現在、「イメージ勝者」「映像大国」だから
津波被害をはじめとした日本の被災地の映像は
スマトラ沖地震のときに数倍して大規模に国際配信され
世界から同情が集まったが、いま全世界が息を呑んでいるのは
福島第一原発の現状を半径30キロ以遠から、もしくは衛星から捉えた映像だ。
そうして総理大臣のリーダーシップと処理能力が問われているわけだが
狭量のそのひとはプレッシャーに押しつぶされそうになっているだろう。
「敗者は映像をもたない」というテーゼは
しかしネット時代になって「液状化」した。
画期は北京五輪を機に起こったチベット紛争(とくに中国軍の弾圧映像)が
ケータイ→YouTubeをつうじて世界配信されてしまったときだろう。
貧困地帯だった四川での地震の惨禍も同様に伝わった。
「敗者が逆転的に映像を拡散させる」。
ぼくがびっくりしたのは、福島第一原発30キロ範囲内にある老人ホームが
灯油、食料など救援物資不足に陥ったまま孤立化しているようすが
職員のケータイからの動画メールによってTVで放映されたことだった。
老人ホームは地方に行けばわかるが土地代の安い山間地に建てられる。
交通寸断されやすい不安定な場所に
そもそも立地しているということも意識された。
上記の例などはネットの正しい使用例とまずはいえそうで、
社会参加を装った「買占めをやめようよ」呼びかけなどは
前言したように、自己中心性によって論点が空疎になっている。
それでも「正義」を届かせようという気概は伝わってくる。
ただしそれが往年の新保守主義的な
「大人になろう」的主張と似た響きをもつのが難点だ。
最悪の例ならFacebookでみた。
それは自分の本棚の崩れを嘆きつつ、実際は自分の蔵書自慢を問わず語りし
返す刀で大学職での不遇をかこっている文面だった。
さて、あきらかになったことは
すべての情報にはヒエラルキーがある点だった。
TVが最もつよい。ネットがそれにつづき、そこでは流言蜚語が飛び交う。
映画はどうかといえば、津波を迫真的に映像化した
クリント・イーストウッド監督『ヒアアフター』が
日本の被災を髣髴させるとして今週16日に上映一律停止となった。
同様に地震を描いた『唐山大地震』の公開延期も決まった。
ここでまたぞろ起こっているのが「自粛モード」だ。
ここでも「自粛モード」はいけない、という一方的意見は
やはりネット的な自己中心性を病んでいるのだとおもう。
つまり『ヒアアフター』はもともと動員が芳しくなく、
被災者への哀悼をテコに公開を「自粛」したという興行側の、
それ自体は否定できない事情が透けてみえるのだ。
第一、TV映像の影響の強大さをまえに、
映画をみようという気分に
ほぼ被災者ではなくても東京人がなれないのも確かだろう。
むろん東京は「ほぼ」直接の被災地ではない。
それなのに自粛モードが蔓延しはじめ、
大学の卒業式の中止なども相次いでいる。
被災地に実家があるかもしれない卒業生に配慮したという
「公平の原則」を大学当局はいうかもしれないが、
それならば当該者に卒業式を機会に救援金を渡すなどしたらどうなのか。
事なかれ主義で、実際は救援機会すら自ら潰してしまっている。
そういう自粛モードに刃向かう向きもあるようだ。
ソーシャルネットワークでも何事もなく日常瑣事を綴ったり
詩作を平常どおり発表したり、
あるいは自らの買占め行為を茶化した記事を書く者も見受けた。
けれどもそれらは自己中心性の枠組みのみにいて、
「人の死」を何とか有意味化したいという神学的衝動を欠いているのではないか。
意図はわかるがぼくには残念だ。
ともあれ「哀悼」の念はTVの地震報道に接したかぎり、
避難所のようすなどからも、現在ですら刻々強化されてくる。
ボランティアを呼びかける者もいるだろうが、現状は被災地に行き着けない。
義捐金か、町ぐるみ程度の救援物資の輸送ができる精一杯だろう。
「われわれ」とはいわない――「ぼく」に試されているのは
TVによって形成された「哀悼の念」をより冷静に精確にすることで
「哀悼」そのものを価値化・有意味化することではないか。
言及されてこなかった「弱者」が
地震津波を機にどう顕在化したかを精密に検討しながら、
政府の施策の官僚主義的硬直を非難することがその第一歩だ。
そこで詩作もこの震災のまえに何をすべきかという問題になるのだろうが、
「四川大地震哀悼詩」のような動きに参画するのは
先に書いたようにぼくにはゴメンだ。
もともと短歌でいう「TV詠」がぼくは大きらいで、
それはむろん「社会詠」ともおおきくちがう。
マスコミ論調の恣意性に創作理念が汚染されているだけで
それらの表現には真の自発性などない。
「不幸」「悲惨」を主題化すればその詩は
地震に直接言及していなくても被災者とスパークするだろう。
詩の方法が喩――とりわけ「暗喩」ではなく「換喩」だという点が想起されれば、
詩作が去勢されることはないだろうとおもう。
たぶん「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮だ」という
アドルノの言をもじった言い方で詩の無効性が情緒的に
四方八方で主張されるだろう。
しかし今回の東北関東大地震でもし詩作が渋ったとするなら
それは書き手の社会性が弱いのではなく、
「換喩」にかかわる方法論がよわいだけというべきではないのか。
今日未明、地震発生時のニーナ・シモン以来
節電意識からもやめていた音楽聴きを
ひさしぶりに復活させた。
聴いたのはジョアン・ジルベルト(ボサノバ)の名盤『声とギター』。
複雑な音色と柔らかな歌声に心を洗われた。
そのやさしさが哀悼に変化するともおもった。
表現にはいつもそんな利点がある。