引用
言葉がついえるとき音楽が現れる
●
愛はまさにセックスゆえに不可能である。
セックスは「後期資本主義による支配の縮図として増殖するが、
それによって人間関係は、
非人間化という性質をもつリベラルな社会を
不可避的に再生産するものに変色する。
セックスは本質的に愛を荒廃させる」。
●
ねたみは、倹約、メランコリーと合わせた三幅対構造のなかに
位置づけられるべきである。
それらは、対象を享楽することができない状態、
そしてもちろん、この不可能性そのものを
再帰的=反省的に享楽する状態がまとう三つの形態である。
●
「コミュニティにおける意見の相違は、
神の慈悲のあらわれである」。
●
神的暴力と、
われわれの無力な/暴力的なアクティング・アウトとの
決定的なちがいは、
神的暴力が、神の全能の表現ではなく、
むしろ神自身(大きな〈他者〉)の
無力さのしるしである、ということだ。
神的な暴力と盲目的なアクティング・アウトとのあいだでは、
ただ無力さの場所だけが変わる。
●
暴力的なアクティング・アウトを煽動する者は〔…〕
自殺と犯罪を取り違える。
●
ブレヒトは、人々は政府に対する信頼を失ったという
ある同時代人の言葉を引用し〔…〕
茶目っ気たっぷりにこう問う。
そうであるなら、国民を解散し、
政府に国民を選ばせたほうが楽なのではないか、と。
●
数百万人を虐殺した歴史上の怪物たちの問題は、
彼らがじゅうぶんに暴力的ではなかったということである〔…〕。
なにもしないことが、
ときにはもっとも暴力的な行為となるのである。
――以上、スラヴォイ・ジジェク『暴力』
(青土社/2010年刊/中山徹・訳)より。
※改行は阿部