たまにはかいぶつ句会のことを(震災句について) ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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たまにはかいぶつ句会のことを(震災句について)

 
 
昨日はかいぶつ句会。
今回の投句時期は、「3.11以後」だっただけに
さすがに同人の詠草にも「震災」が目立った。

むろん俳句の一要素が俳味禅味だとすると
下手に凄惨な震災を盛り込むと
俳句という器まで壊れてしまう。
震災とは激甚な挑発材なのだ。

句会は、完成した一号ごとの同人誌の手渡しと
それ以外の投句採点合評会で構成される
(あとはとうぜん愉しい雑談もある)。

その合評会で集計最高点をとったのは
フジテレビ・アナウンサーの阿部知代さん。
句は以下。


ともに咲きそれぞれに散る桜かな


ぼくはこの句には点を入れなかった。
音韻が俳句としては良すぎるのと、
発想がやや月並ではないかと危惧したのだ。

ところが榎本了壱さんの解釈を聞いてハッとする。
この句はさくら開花の常態を詠んだものとみえつつ
句の裏に、


それぞれに咲きともに散る桜かな


が隠れているというのだ。
その隠れたものが指標するのは
「ともに散る」の強度から
今回の大量の被災者なのではないか、という。

一見「震災詩」とみえないものに震災の実質が隠れる、
そういったひねりが俳句であり、
しかも句が月並への逆転として現出した点に
祈りと哀悼と静謐感もある、ということだろう。

そう指摘されて、一挙に句のみえかたが変わった。

ぼくが個人的に最高点をつけたのは、
南々桃天丸さんの以下の句。


千年の揺れのさなかの睦かな


睦(むつみ=まぐわい)をもちだして
「千年(ぶり)の揺れ」を脱権威化する俳句的反骨。
睦みをやめないのではなく
地上がゆれるならなおのこと睦もうじゃないか、
というエロスの気概。

たとえば大晦日と元旦にまたがる性交を
「二年越しのセックス」とよくいうが、
あの揺れは「千年越しのセックス」のチャンスでもあった。

俳句はわらう。かなしんでわらう。
それで大局ができ、市井そのものも大きくなる。
桃天丸さんの句の不屈が、俳句の本懐とおもえた。
同時に感性の「震災」への正しい対処法とかんがえた。

ぼくは合評会には「震災句」を出さなかった。
出したのは以下の二句。


花烏賊の流れをひめる女身かな


尼の名に似ることなりき春眠は


これらはショボショボと(例外的)点数をいただいた。

ただし同人誌のほうには「震災句」を出した。以下八句。


地震〔なゐ〕来たるとき宙にあり紙風船


みちのくに極大悲の雛流しあり


瓦礫つむ道端のいま春うれひ


花守も用なくなれば男身仏


出歩かぬままうつしみの花疲れ


津波知る今日の鰆の青きかな


地震〔なゐ〕酔ひで重たき日々のしやぼん玉


いかなごの細ければみな北にゆけ


悲哀に濡れすぎて、俳句になっていない
(むしろ和歌的)とおもい、
合評会には出さなかったものだ。
古語「地震(なゐ)」も和歌には馴染むが
俳句では違和を個人的に感じる。

なお最後の一句はコウナゴの出荷停止報道の前の作。
報道があったときは符合にゾッとした
 
 

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2011年04月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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