最近、ひとに話したこと ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

最近、ひとに話したことのページです。

最近、ひとに話したこと

 
 
金曜日の鮎川賞授賞式の場で井坂洋子さんに話したこと。

井坂さんの詩は、
音律性の高い詩文、小説的散文(しかし欠落もある)、箴言的フレーズの
有機的混淆体(つまり中間性)として書かれていて、
そこでの解けない喩によってこそ
井坂さん自身の思考、予感、記憶、生活報告、身体把持実感、風景が
ゆたかに回転延長している。

だから読むごとに読み手の印象に浮かぶものも変わり、
それで再読誘惑性が他の詩作者にたいし異様に高い。

その詩に特有のゴージャスさがあるとするなら、
中間性のもとになった文章因子に、
因子固有の最高峰がそれぞれ築かれていて、
諸文芸の可能性が連接的にひらかれているからだ。

云々

そういう井坂さんの技量と個性が
完全に開花したのは世評のように『嵐の前』なのだろう。

特色として特記しなければならないのは、
それぞれの詩篇が上で書いた性質のゆえに
「憶えにくい」ということ。

けれどもたとえば巻末の「海浜通り」のような例外もある



金曜日の鮎川賞授賞式で中本道代さんに話す。

「中本さんの詩は切断が男性作者のように熾烈で、
すくないフレーズの背後に
思考を厳密に向き合わせることがしいられます」。

中本さん曰く
「わたしは実は詩篇を削ったことがなく、
それぞれの詩篇はほぼ「書いたまま」の全体。
書くことが少ない。
また言葉を出す速度も遅い。
書かれるままにそれぞれの詩篇は
ゆっくりと小出しに仕上げられてゆく」。

一番驚いたのは
そのやりとりを横で聴いていた井坂さんだった。

井坂さんと中本さんは同齢で仲良しだが、
『朝礼』でデビューした井坂さんは70年代詩人、
「ラ・メール」で一世を風靡した中本さんは
80年代詩人のような気がします、
とぼくはその席で印象をのべてもいた

ともあれ中本さんを、杉本真維子さんや近藤弘文くんの同類、
つまりツェラン型と捉えるのは早計だと改めて感じた



金曜日の鮎川賞授賞式で中島悦子さんに話したこと。

「中島さんの詩は断章形式の詩集空間への導入に
見事な手柄があった。
コント、箴言、詩文など分立的なものが
空白行と序数をともなって一堂に介しながら
点滅的な世界をつくるが、
その点滅にこそポップさと生成性が現れていて、
『マッチ売りの偽書』はその時点での
最大の方法論的開拓だった。

「パーツの配分」をしたのは
切り貼り名人の稲川方人さんだが、
あれは装丁家としての彼の仕事のなかで
最も「明るい」ものだった」。

中島さんは詩作者デビューののち
空白があるようにみえるが、
ずっとその一見の空白期にも
同人誌などに詩篇は発表されていて、
経済的に詩集刊行の機会がなかっただけ。

その意味では杉本徹さんなどと経歴に類縁性をもち、
廿楽さんやぼくとはちがう



ちかごろ三村京子に話したこと。

「想像力の「基底」とは、
3×3のスペースに8のパーツが配されて、
混乱からひとつの画柄を完成させる
あの簡単なパズルのようなものだ。

9個に1個、空白がないと、
のこり8パーツが動かないし、
その空白に実体験が入ることでも一種の「伝導」が起こり、
パズル解き(パズル完成)が動く。

この想像力によるパズルは、
完成形として予定される画柄があるわけではなく、
影響源によってその都度、志向される完成画柄が変わる。
その画柄は影響を起源とする中間性・暫定性にすぎない。

中間性は、中間性であることそのものから、
他ジャンルの混淆を予定する。

だからたとえば写真をみて
音楽が発想されるということもありえる。

自分に空白をつくることが必要だ」
 


自分をゆるめる。calmにする。
ある体験があれば、それを利用し、
体内の空白を舞台に
身体的な諸記憶をぶつけて触れ合わす。

それはたしかに「体内摩擦」にも分類されるだろうが、
そこではゆたかな音響すら拡がっていて、
身体容積はすでにその物理性を超えられている。
これを一個体における超コード化と呼んでもいい。

だから自己信頼に再帰性が伴わないことなどありえない
 


金曜日の鮎川賞授賞式の会場で
倉田比羽子さんへの紹介の労を
瀬尾育生さんがとっているのが可笑しかった。

倉田さん「会いたかったあ。
でもこんな顔しているとは意外だった」。
阿部「そう、書くものだけをみて、
芥川龍之介のような顔をしているとおもってたー、
とはよくいわれるんです」。

瀬尾さん「このようにすごく「うるさいひと」です。
福間健二さんと関富士子さんとの朗読ジョイントの打ち上げで、
そのうるささを倉田さん見聞しているはずですよ」。
倉田さん「わ、憶えていない」。

瀬尾さん「阿部さんとは付き合いが旧いのです。
十年ほど前、習作期の阿部さんの詩を
福間さん経由で見たことがあって初めて話したんだけど、
そのときぼく、間違って褒めちゃった(笑)。
あとで福間さんには褒めると
阿部君は付け上がるからマズかったといわれた。
その結果が現在」。

阿部「褒められてなんかいないですよ。
ともあれ多言を直せ、詩は削れ、とキツいお言葉を戴き、
それを守って奮励刻苦しただけです。
瀬尾さんには感謝してますもん」
 


以上はすべて空白と削除と混成のはなし
 
 

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2011年04月25日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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