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しあわせってなんだっけ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

しあわせってなんだっけのページです。

しあわせってなんだっけ

 
 
以下、facebookへ今した四連打ちをペーストします。
題して「しあわせってなんだっけ」。



読んでいた本のあとがきに、ふと引用されていたカフカの、カフカらしからぬ(むしろジャック・ドゥミ的な)言。ヤノーホに語ったものだから読んでいるのに、まったく忘れていた。曰く--《恩寵は届くかも知れないし、届かないかも知れない--また来ないかも知れない。この安らかな不安の期待が、すでにその前触れ、あるいは恩寵そのものかも知れないのです》。読んでいた本--フリートマル・アーベル『天への憧れ』(法政大学出版局)



音楽性があるゆる差異(断裂)を均す、とおもうことがある。音楽(そこに情感や身体は籠められる)はしかし本質的には意味によって縮減できず、それ自体の音素展開としてその内実をただ排他的に説明されるだけだ。音楽は音楽によってのみ表される。ならば「音楽へ入る」とはどんな仕儀を指すのか? それは未到来と到来の弁別不能地域がただ希望の地域だと告げる、そんな恩寵に入ることなのではないのか。詩が、文章と機能が根本的に異なるのも、音楽・未到来・恩寵・非意味といった事柄から解けるだろう



同道-先んじ-振り返り、を、父役・丸山定夫にたいして繰り返す、千葉早智子の『妻よ薔薇のやうに』での舞踏的-少女的振舞いを、「可愛らしさ」ではなく、一種の「行動の倫理」としておもいかえすときがある。ドゥルーズのいう、「少女になること(少女性への逃走)」は、じつは平滑空間に逃走線をはるか引くより前に、身体内在的な領域にある単純な「リトルネロ」なのではないか?



いかなる場合でも、自分がただ自分をみせるときには機智は生まれない。単純に換言するなら、自分とは似ていない自分が破壊的に開陳されるときにのみ機智が生まれ、多くその機智は自分をより賢くではなく、より愚かしくみせる豊饒にこそ貢献する
 
 

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2011年05月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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