松下育男のように
●松下育男のように
【目】
大永 歩
おばけが
こわい
薄緑色の奇怪な顔が
窓の向こうから
こちらを
見て
いるのではないかと
ぼくは何度もふり返ってしまう
こわい
のに
見て
しまう
もし それが顔でなくて
胴だったら
脚だったら
手だったら
こんなに怯えることがあっただろうか
もし その顔が
犬だとしても
友だとしても
親だとしても
きっとぼくは肩を震わせておののくだろう
だから
ぼくも
見る
●
【蛇】
長谷川 明
蛇が現れて
僕の寝床をかむ
それで目を覚まして
メールを見る
君のこと好きと
書いてある
僕は
僕の金庫を見る
がっしりとした
とても立派な金庫を見る
ためいきが
出る
目を覚まして
電話に出る
君のこと好きと
言っている
見る
見る
出る
蛇が現れる
●
【わからなくなってきた】
荻原永璃
ただ
くもばかりながめて
くらしたかったのだけど
おもっていたより
くちはひらかなきゃあ
ならないし
みみをとじれば
おこられるし で
せけん はとっても
うるさい
はえがぶんぶんうなってる
くちからはえをだし
みみにはえをいれ
みみにはえをつっこまれ
たまらずに
くちからはえをはく
ぶんぶん
ぶんぶん
ひっきりなしに
とんでいる
あたまのうえのあれは
くもだろうか
はえだろうか
そろそろ
わからなくなってきた
●
【あしたのあさ】
森川光樹
ねむくなると
昼に
わらいすぎたことがわかる
ひとが多くて
やすめなかったから
ねむいぶんが
ぬすまれたぶん
それはかえらないから
次の日
みんながみんなから
「おはよう」を
ぬすむ
●
【満員電車】
斎田尚佳
黒いスーツの波の中
乗り込んで
呑まれる
檻
押せば跳ね返される
人に 人
誰かがおいていった
折り目のついた
網棚の週刊少年誌
感動なんて
むわっとした湿気に
とける
ドアが開いて波がうごく
流される間際で
漫画を
網棚に放る
ぼくらが漫画をまた
読むことができるように
●
【ピアス】
渡邊彩恵
ひとつ
空洞をつくってみる。
始めは
わざわざ
気持ち悪いのは ごめんだった。
ふたつめ。
今じゃあ
そこかしこに
ある。
なんだか
空洞に叫んでみたくなった。
それで今
ふさがっている。
●
【髪】
山崎 翔
季節にあわせ
久しぶりに
自分で髪を切ることにした
鋏を
ざくり
と入れるたびに
黒くてやや脂っぽい髪の毛の
無数の
束が
床に敷かれた新聞紙へと
ぼんやりと
落ちる
落ちる
そいつらは
確かにさきほどまで
自分の
顔
であったけれども
顔をかき集め
黒くつややかな
ひとまとまりにして
捨てる
ことには何のためらいもいらない
そんなことはもう
どうでもよくなった
ひとり
顔を洗っているとき
この手が触れているものについて
ひどく
怖れた
のはいつのことだったか
●
つづけて「松下育男のように」。
「支倉隆子のように」と較べ
掲出詩篇がすくなくなったのは
本質的に松下育男の詩が
やわらかく、簡単そうにみえて
「むずかしい」からだろう。
松下詩の無駄のなさは、
じつはヴィトゲンシュタインの哲学などに似ていて、
認識の本質性は
「語りえないことを削る」
思考の厳しさと境を接している。
それでいて、詩行では
「呼吸」とともに「最小の物語」も生じている。
こういうものへの参照が、学生世代にはまだ難しい。
それでも松下詩の奥底にひめられている
ゾッとするような「怜悧」が
出現している佳作が多かった。
松下育男や高階杞一の模倣は
簡単そうで難しく、
ほとんどが恥しい結果になる、とは
以前、廿楽順治さんの日記の話題にあったが、
掲出詩篇群は、そんな愚をまぬかれている。
ちなみに今朝ぼくのアップした詩篇は
支倉詩と松下詩とを
無理無理に融合する、という心意気だった
(まあ、これは蛇足)