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貞久秀紀のように ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

貞久秀紀のようにのページです。

貞久秀紀のように

 
 
●貞久秀紀のように

【からだ】
大永 歩


空洞が思考するとき
あけびのつるのような
どくへびの足あとのような
かみなりが
つらぬい
ても
空洞は空だった

六月の雨がおちるとき
こぬれにできたふくらみが
まばゆい熱をもちはじめ
あなにあながあいたなら
赤いつちは空をまい
まい
やがてうずをまき
うどのおおきな葉の下で
春の訪れを待つのだろうか

からのからから、から







【首の皮】
三村京子


体が
空気を歩きゆくように
空気が
体を歩くことがあった
空気が
体を歩いていたころ
決めたり選んだりしたことが
体が
空気を歩きゆくこのごろ
歩くことと見分けられなくなってしまって
すこし困った
それで
首の皮
いちまいで
生きていることもある
それもそれで
辛くも楽しく
空気が
体を歩くことと
だんだん似てゆくのかもしれない
恋人に
舐められた
あくる朝
見知らぬホテルを囲む
新緑のざわめきに
背後から襲われ
すべてが緑になってしまった







【ねこのこ】
中川達矢


ねこの美しさに
みとれていた
ように
ねこがうつくしい
のか
ねこの美しさがうつくしい
満月の
もとで
かえるがまるでないている
から
ねこのせなかがまんまるで
ねこのこがうつくしい
から
寝込みをおそって
だかれていた
ねこのこはのびていて
美しさを失う
のか
ねこの美しさは
まるのそと







【のど飴】
二宮莉麻


飴のあじがなくなって
あまさは
わたし

からだになる

薬と調和するように
あまい
けつえき

なる

さらさらさらさらさらさらさ

雨がふってきそうだった







【低気圧】
鎌田菜穂


くものうえから
たかさが
おもいきり
おちてきて
わたしのあたまは
かたく
つぶれてしまい
ました

もう
くうきをふるわせる
ことば

うまれません

ちいさな気泡の
ような
不機嫌がのどから
はきだされます

めいめい、
あたりまえの
ように、やさしく、
爆発
して
世界は
しろく
ふくらみました







【空】
川名佳比古


あめの
しずくに
つれられて
いくつか
空が
おちてきた
ところに
五、六羽の
すずめだか
からす
だか

うっかりおちてしまったの
を眺めていると
いつの
まにやら
ぼくが
空に
おちていて
じっと
すずめだか
からす
だか

ぼくを
見つめていた
その
目のなかに
空が
たしかにみちている
ことに
きがついた
ぼくの
あたまのなかに
空が
たしかに
おさまった







【ルーム】
渡邊彩恵


うたたねをして
ざわざわとしたものが
私の頬をなでた

気付いたら私の中に
侵入していた
こんなことはよくあるもので
大嫌いというわけでもないが
やはり
気になるというものだ
そうこうするうちに
今度は

にやってきた
どうにも
逃げられないようだ

息をはけば
さっさと逃げてしまった







【十階】
荻原永璃


十階の壁にふれるには
水にはいるように
細心のちゅういを
はらわなければならない

硝子のむこうには
ほっそりとした
海がうかんでいる

十階の壁をひらくには
水晶から
水をのみほして
日日日と
白く
あらなければならない

丸虹の
中ほどには


十階の壁からこぎだすには
湧いてくるらっぱを
ひとつ ひとつ
ふみつけて
のぼらなければならない

雨粒は
線となる
ので
たぐりよせるべし

十階のすきまから
向こうの海へ
すべりこむ







【行方不明者の証言】
山崎 翔


皮膚

がやたらとみつめてくる
ので
きはずかしさに
かんがえごともできず
しかたなしに

をつぶってはみる
ものの
瞼の裏側

がやたらとみつめてくる
ので
ねむることもできず
しかたなしに
雨の音
をきいている


になって







【礫の町】
長谷川 明

 
遠投をずっとつづけていけば
その姿勢が歴史になって
たくさんのかけるやたすが
自分のなかで新しい関係の匂いをかぐ
それは例えのさんせいをさがした駅や
いとで縛ることの
知られている毒とおなじ
苦さへの
姿勢をつづけるため
曲がろうかというのは
その角でぼくたちのひとりを選んだ
このような器用さから
日々の演繹を縒っていく
ほとんどこどものものが
店をしめていて
あたらしく生まれだした
明暗するだれを思い出すのかを
思い出していて
そこに築いたいわきを角からは「船だよ」
というような駅が通りすぎるので
ぼくたちのひとりから
遠投の姿勢へと
あたたかな軌道がのびていく





課題「貞久秀紀のように」では
だいぶプリントから落とした。
「のように」になっていない詩篇が多く、
やはり原理性、再帰性を、すくない語彙に織りこみ、
世界の異相と抒情を奥深くしめす
貞久さんの作風が「まなび」には難しかったのだろう。
「哲学」によわい、ということなのかもしれない。

前回の江代充さんの参照のほうが
難関だとおもっていたのでこれは意外な結果だった。

「まねび」ということに
そろそろ受講生が疲れだしたのかもしれない。
「自分の詩が書きたくてウズウズしている」
気配もつたわってくる。

技巧という点で申し分のない
山崎翔くんのような
カメレオン的自己変貌能力を
彼じしんの個性へとどう導くかが
今後の演習の課題となるだろう
(とうぜん期末提出には「自分のように」という
課題をかんがえている)。

「まねび」でありながら
「自分自身」が自然吐露されてしまう。
これが理想で、
その意味ではぼく自身が課題に挑戦して仕上げた、
「朝の網」なんかがひとつの方向性かもしれない。
その意味では三村京子さんもうまくいっている。

定例なので、成績発表。

最高点は、荻原永璃さんの「十階」。
惜しいのは、一聯まるまる不要とおもわれる箇所があること。
ただし着想が驚愕をあたえる点が
貞久さんの思考をおもわせた。

作中にある「丸虹」は
「丸紅」の打ち間違えではない(笑)。
たとえば山頂から雲海を瞰下ろすと、
虹のみえることがあるが、その虹は円いのだ。

次点は前述した三村さんの「首の皮」と
長谷川明くんの「礫の町」。
長谷川くんのは直しどころも多いが、
着想が鮮やかだ。

ただし貞久さんというよりも
故・三橋聡に詩風が似ているとおもう
  
 

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2011年06月02日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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