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李相日『悪人』についてのメモ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

李相日『悪人』についてのメモのページです。

李相日『悪人』についてのメモ


  
李相日『悪人』は
「悪人」のレッテルを貼られた者について
その人間的奥行を描出するというものだろうが
(それで「東宝」作品にも成りえたのだろうが)、
当然その見返りに「悪」の峻厳な把握がスルーされてしまった。

「悪」については、

彼が悪をなすのではなく、
悪が彼をなす、

的なカフカ的な直観に勝るものはなく、
多くの悪を描いた映画では
人物たちの向こうに海から顔を出す朝日ではなく、
人知を超えた神的悪意が
龍のようにのたうつのがみえるのが正しい。
そうして、人間の卑小を伝える「悲劇」が成立する。
そこでこそ観る者の魂もふるえる。

李監督の『悪人』では
唯一、妻夫木聡に殺された満島ひかりにのみ、
そうした眩しい悪の脈動があった(素晴らしかった)。

いずれにせよ、
カンパニー松尾の実録したものに従えば
地方(九州)で出会い系サイトにいそしむものは
妻夫木や深津のような顔をしていないだろう
(繰り返すが、だからこそ東宝作品になった)。

この『悪人』によって瀬々敬久の優位もわかる。
なぜなら『悪人』の全体は、
瀬々『雷魚』『HYSTERIC』を足したものと似ているからだ。

しかも瀬々作品には主題系連鎖と、
ゾッとするような
「世界の停滞(それでいて世界は不可逆的に変化する)」とがあった。

あるいはこう言えばいい。
快適な「変化」によって進展をかたどる映画は
「悪」「悲劇」の問題を形成しない。

その形成のために必要なのは
「不可逆性への唐突な飛躍」
「悪無限的な反復と停滞」であって、
要は「時間」に「悲鳴」をあげさせることだ。

李相日『悪人』にあったのは、
事前-事後の鉄則にもとづく「編集的」変化で、
「渦中」の演出が軽視されていた
(満島殺害シーンならば、
回想時制という括弧にくくられ、直接性を欠いていた)。

映画の演出では実際に「渦中」にこそ、
「不可逆的飛躍」と「反復=停滞」がある。
これは瀬々のみならず、
イーストウッドも黒沢清も力点をたがえつつ実現しているものだ。
映画の鉄則だろう。

ディテールについて、ひとつだけ。

一旦自首を決意した妻夫木が、
警察署前にクルマを停車、
深津絵里を残して署に向かう。
そこで深津が妻夫木を思いとどまらせようと
クラクションを鳴らす。

これは音の面での名演出と一見捉えられそうだが、
クルマの所属性と深津の身体の扱いがとくに曖昧な、
演出・脚本(もしかして原作)の瑕疵部分だったとおもう・・・

いずれにせよ、今年初め、
河出から出たムック本で
松江哲明くんや森直人くんと座談会をやったとき、
『悪人』の話題が出て、
ぼくは観ていなかったために話題に参加しなかった。

参加していれば上記のことを喋っただろう。
それでたぶん座談会の流れも変わったはずだ
 
 

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2011年06月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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