自分のように ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

自分のようにのページです。

自分のように

 
 
その後、三人から最終課題「自分のように」が
メールされたので、以下に追加寸評を。



【家を出る】
森田 直


昨日出た

なにもなくなって
狭くなった部屋で
不動産屋と気まずく
嘗めあった

家を昨日出た
さよなら
ゴムひもの緊張感
ゆやーんだか
ゆよーんだか
おれはそっちに帰ります

初日から
最終日まで
鼻毛出てた
大家のおやじ

鍵を一本くすねた




日常詩。力が抜けている。
斡旋されたことばが最小限に選択されている。
「少ないこと」にたいして真摯にかんがえられたのではないか。
結果、余韻が獲得されている。好きな詩篇だ。







【結婚したいひと】
長谷川 明


よくみると
つながっていない
ぼくはぼくのしたいを
ひとにのこして
だれかの内臓をかりて
あたたかくなる
結婚をしたひとは
自分のものでない顔を
みんなにみせていて
顔でないものに
お金がはらわれる
夏に
なんどもしたいにあいにいく
したいは
あたたかさでへんじをする
結婚したいひとは
あたたかさをうけいれる
僕は
したいとつながっている




「結婚」への疑念が原理的に書かれ、
それが原理的であるがゆえに恐怖がたちあがってくる。
相手の他者性、自分の代理性、「生」実感のなさなどと
それらは約言ができ、
長谷川くんはそれをフレーズの微差反復で詩にしている。
ただし課題のラストでは長谷川的破壊性の集大成をみたかった。







【帰る】
高橋奈緒美


安くなったパンを買って帰路につく
欅並木は一から十の数字の羅列にしか見えず
家々を反響する自分の靴音がうるさい
耳近くを飛ぶ蚊のようなすれ違い際の男女の会話
目前の木を形容する言葉さえ見つかれば
ひと思いに潰してあげるのに
長針と短針が空を指す
夜空の雲に違和感を覚えたのはいつぶりか
喧騒がナイフであった舞台
車が夜を裂くリアル

左手に提げた袋から香る
ガーリックの刺激
「お母さん
帰りにパンを買ったから
明日の朝ご飯はパンにしよう」

返事が聞こえたなら
私は帰る、
帰ってこられた




これも日常詩。深夜の帰宅過程の疲弊と違和が
比較的わかりやすいことばで綴られる。
それにしても存在を領している
この本質的な不充足性とはなにか、ともおもう。
《長針と短針が空を指す》で深夜十二時が告げられる。







【轍】
高橋奈緒美


がたがたがた
車輪が動いているのではなく
周囲が回っているだけだとしたら
横にならんだ車輪は
どこへ転がって行くだろうか
(わたしは何を押しているのか)

車輪の上から声がするから
道はまちがっていないのだろう
わたしは砂利道が好きなのだ
「がたがたがた」
祖母が笑って口にする

ほんとうに
わたしはどこへ転がっていたのだろうか
(わたしは車輪を)
(車輪はわたしを)
轍が家まで続いていたころ




これは前の詩篇よりもっとことばが限定され
限定されたぶんだけ謎がふかまった。
ぼくは「わたし」が「押している」ものをリアカーと捉え
それを押すことがかつて主体の生活の一部で
その記憶を語っている詩だとおもう。
記憶のある質感に向けて語りつつ形容詞がはいっていないことで
隠されている感情が慟哭にちかいものではないかという
判断もえられる。峻厳なことばの組成なのだ。
高橋さんは「祖母詩篇」で大成した。次点。
 
 

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2011年07月29日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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