三村京子の俳句
「未定通信」が届く。
投稿は高原耕治さんと僕だけ。
だからすげえ薄い。
出句清記帖が句会欠席者に送られもせず
原稿依頼もなされなかったようだ。
編集代行の玉川さんのチョンボだとおもう。
ここでの原稿は、「未定」関係者にしか読まれない。
なので三村さんの俳句について書いた部分だけ
三村ファンのためにペーストしてしまおう。
改行・行アキなしで貼るので、
ちょいと読みにくいけど、ご勘弁あれ
●
【並句】
PASSION篭る寺という身に出口なし
・評
「身」が「寺」と同格となり、「寺」には「PASSION」が籠もり、それで「出口」がないという嗟嘆が生じている。修飾構造は17音短詩のなかではかなり複雑で、多元的な意味がそこに生じるようにおもう。「PASSION」がまず句解の鍵。それは「受苦=情熱」に「パッション」とルビの振られる「現代思想」流儀の、意味の二元性/分離並存を志向しているだろう。「情熱」が問題だった――なぜなら、「寺」の語には寂滅、教義的厳格、節制などのイメージ圏がまつわり、「寺」と「情熱」は通常、背反的なのだから。だからこそ、句全体から疎外や「受苦」の感触も伝わってくる。そして「寺という身」という、句の「同格構造」の中心は、「身」の脱分節化という奇妙な事態を意識させてさらに緊張にも導く。それを後続する「出口なし」が駄目押しする。身のうちに生じた受苦=情熱を瀉血するような出口が身にない――つまりこの身体は『荘子』応帝王篇にみられる、感覚に必要な七穴を穿たれるまえの「渾沌」なのではないか。二眼・二耳・二鼻孔・一口の七穴。人はそれに加え一尿道、一肛門の二穴もあり、女はさらに膣口をもった全体で十穴の魔性となる(『荘子』では「渾沌」に七穴を穿つと、死んでしまったという謎めいた寓話だったが)。この句では穿たれる前の「出口」がじつは膣口ではないかという印象がとりわけ生ずる。ならば「寺」には尼寺の印象もまとわりつくことになる。エロチックでありながら、「出口なし」の捨て科白のような、自己断定の冷ややかさも共存する構造に注意。句を噛み締めると、倫理感をもって何事かに熱中する女の、身体的不如意が立ち現れる気配があった。
●
なおこのときの句会に僕が出した句は以下。
兼題は「山」「口」だった。
●
山蛭や黄泉となるまで著莪を吸ふ
山蛭もて不動山往き娑婆荒るる
山響は億万のこゑ蛭の飢
山藤に棚なくて白爛れたり
口よりぞ我も出でゆけ出羽つ瞽女
あけがたはなび
【あけがたはなび】
身のなかにこそ足がある
これが俺の詩だ
やわらかいものを踏み
濡れて流れるものを踏む
身を逆さにみちびいては
こんいろの天上まで踏む
こころを羅針盤に貶めては
じりじりと暑い歩みも炙りだす
まわっているのか
すすんでいるのか
わからないのが世情のつねだ
でてきた像のちいさな斑点
そこに詩の根拠があるとしても
夜空の白鳥を絞める手が
足になりかわって
存在が裏オモテするこの電気を
のちはただ下降にまかせればいい
逆さになれば髪の毛も逆さ
来るべき朝顔の朝を
自分流儀の模様にするまで
掃いて掃いて
ひたすら刷[は]く。
●
先週は――
・水曜日、レポート採点簿を立教に提出。
そのまま研究室で白土三平『忍者武芸帳』を全巻読了。
女房と待ち合わせて近所のもつ焼き屋で一献。
・木曜日、大島渚『忍者武芸帳』をビデオ鑑賞。
研究室からもち帰った大島渚文献、
白土三平文献(大量)を読み漁る。
石子順造(「白土三平論」)、四方田犬彦(『白土三平論』)、
それに自分の往年の原稿(「中間化する大島渚」)
のリーゾナブルさに感心。
原稿の方向性に見切りをつけ、意外な早寝をする。
・金曜日、大島『忍者武芸帳』を再度ビデオ鑑賞ののち
その評論15枚の執筆を開始。
旧友木全公彦からの依頼で、
紀伊国屋DVDボックスのライナーノーツ。午後2時、完了。
のち久しぶりに買い物がてら自転車で近所をふらふら。
帰ってビールを煽ったのち、自分の原稿が
字数の計算間違えで10枚しか書いていないと判明。
あれだけ削除圧縮に苦労したのに。。。
消す前に書いてあったことを必死で復元しはじめた。
意外に簡単だった。これは一時間で完了。
・土曜日、女房とうだうだ
録画済みドラマやらオリンピックやらを鑑賞。
夕方前から小学校の同窓会へ。遠地・藤沢での開催。
二次会で翌未明に達し、遠隔地から来た級友を置き去りに
地元民が次々にタクシーで帰り始める。
トロピカルなバーで級友6人と粘っていたが
50か49の者同士では午前3時半が限界。
意を決して同方向の級友とタクシーを相乗り、
藤沢から世田谷までを帰った。
第三京浜→環八→甲州街道は、一万円ずつの出血出費。
・日曜日、昼前にようやく起きる体たらくで、
女房にさんざん叱られる。
オリンピックを適当に流し見て、
ビデオ返却を兼ね、新宿へ買い物。
高島屋地下で黒沢清とばったりでくわす。
たがいにギョッとした視線を交し合っただけ
(話したことがない)。
そういえば、このごろは人とばったり出くわす。
こないだは銀座で滝本誠さんとばったり会って、
このときは女房もふくめ15分くらいの立ち話だった。
滝本さんは僕のヒモの身脱出を大絶賛してくれた。
返す刀で年金生活のはじまる自分の話をして
僕ら夫婦を羨ましがらせる。
・今日月曜は「現代詩手帖」用、
小川三郎『流砂による終身刑』評(3枚)の〆切。
――とまあ、近況報告でした。
ミクシィ、なにぬねの?ともにサボりまくりの一週間、
その言い訳を以上、書きました。
それにしても暑いなあ。。。
キンパツ
未明に起きだして
ひきつづき入門演習の採点を。
これが最後の採点作業だ。
おもしろいもの続出。
全員が評論ではなく作品提出で、
ヴィジュアル系も多く、
とてもこの欄には転記できない。
笑ったり唸ったりしながら
とうとう採点を終えた。
続いた怒涛。
自分の四日間にはご苦労さん、をいう。
本来ならこのまま
ふやけてしまえばいいのだけど
今日は立教に採点簿を出しにいって
その後は研究室に籠もり、
白土三平『忍者武芸帳』を再読しなきゃならん。
そのあと本棚を睨んで大島渚の文献漁り。
というのは大島渚DVDボックス、
その『忍者武芸帳』のパーツの
原稿を頼まれているのだった。
〆切は盆前――ということは今週末。
寧日なし、とはこのことだ。
三村京子のライヴにも行けはしない。
●
入門演習提出レポートで
気に入った歌をまず一首、書きとめてみよう。
ニューウェイヴ歌手・福島遥さんのもの
(本人の承諾なしだが、まあいいだろう)
金髪が料理に入っているよりも黒髪のほうが私はいやだ
畸想佳し。
そしてこの一首はとうに忘れていた
僕の学生時代の自作も髣髴とさせた。
これも書いてしまおう。
忘れえぬ記憶のひとつ金髪は花に明かりてあやふくなりぬ
ということで、気分も金髪になって
以下の詩篇をさっき一気書きしてしまった。
【キンパツ】
犬をゆらしてキンパツを流す
ということはもともと
おしだまる水面だったということ
花づなになりたくて
幾度か壁にもぶらさがってたけど
こっちの愛情が
主君的だったのだろう、恥しい
いまは壁に鏡をみる(犬なし)
俺の歩みに唸り声を縫って
死んだ犬のまぼろしも同道する
きっと菖蒲を探しているのだな
一帯を水郷にするためにだ
でもあやめしおれて
殺め枝垂れた夏の陽に
詩情がひともと定立する
照りをかんかん鳴らして
ぞろ虫己れを割ってでよと、だ
うらぶれて影ゆけば
銀幕も美女美女
キンパツと電気だらけだった
物語のくらげ見て
参集ら呑気に口開いてら
美女にかかった紗がゆれて
キンパツ、映画から独立する
犬と観ているつもりだったが
犬のおもかげに泣くこともあろう
隣などつねにおらず
きゃんどるめいたものにも弱く
川を掘る夏の聖節を歩けない
歩くと足が虫になって
足跡にキンパツもわだかまる
「喰おうとするなよ足跡など」
ひるがえればとことん暑い
きゃんでぃめいたものを溶かし
われ割れまでしゃがんだ
こいけまさよキンパツになり
もりたしほこキンパツになり
みむらきょうこキンパツになる
ひるがえればとことん暑い
身そのものも
味噌のもののように
浴衣となったからには
ゆうかぜにさみしくはためくだけ
地球の休暇期は
俺も少量のキンパツ泉だった
らしい
●
短歌と詩の往来というのは、
「なにかすごくありうる」。
歌物語のように和歌と物語の並立だってあった
(そういえば現代の柴田千晶さんの詩集、
『セラフィタ氏』は現代短歌と
勃起不能の意地悪なエロ物語の
迷宮性の高いとりあわせだった)
僕の場合は、短歌は躯をほぐす。
それで書き込みに短歌をよく書くようになった。
八月に入って盛田志保子さんの日記に書き込んだ歌を
備忘のため、以下に転記しておこう。
蝉麿とわが名呼ばれり空蝉を着て夏の水消えゆくを視る
児(こ)を放ち雷鳴の昼まどろめば綿毛とあそぶ蜘蛛の心地す
●
今期の入門演習には
高校時代から歌作に親炙している学生もいた。
門司奈大(もんじ・なお)さんだ。
彼女は、サブカル度のすごく高い詩画集を提出した。
その詩は個々がグラフィックに文字配置されていたが
ひとつひとつが短歌だった。
うち大好きなものを転記しておく。
風吹きの黒髪視界を埋め尽くすこのまま閉じればさいわいの果て
隠されたその本質を探りつつ未だ知り得ぬ君の毒薬
階段を駆け上がるように一息であいのことばを言えたらいいのに
「なあ一体、いつまで呼吸すればいい?」「ひとまず明日の午後八時まで。」
ありふれた結末なんてごめんだと硝子の靴を蹴とばしている
さあ行こう ドレスの裾を引き裂いて 逃亡方法 1×∞
●
門司奈大ちゃんなどは数年後、現代歌壇に打って出るかも
(↑これ、かたちのみの短歌♪)
植草甚一本が届いた
昨日は『詩と思想』の原稿執筆用に
当て込んでいた日だったんだけどスルーした。
夏バテかなあ。あるいは初老期鬱。
午前中の気分をうまく調整しないと
こうして何もできなくなる。
けっきょく「だらだら読書」が
怠惰な僕の性に合っているのはたしかだ。
自分のサイトを自分でクリックして、
これまでの句集・歌集の出来を再吟味するうち
午前が終わってしまう(朝寝もしたし)。
そうこうするうち、
B5ムック本『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』の見本が
晶文社から届き(僕も原稿執筆者のひとり)、
嬉しくなって拾い読みしているうちに
ずるずる午後も終わってしまう。
ありゃ、時間進展が早い(加齢の徴候)。
昼飯ののち眠たくなった頭を叩いて歌作をしていなかったら
あやうく自己生産上ゼロとなってしまった一日だった。
●
植草本、もう手に持っただけで馴染みがいい。
目次をみると隙がない。
「隙のなさ」と「隙間の存在」が仲良くニコニコしているから
本当のところ「隙がない」――そういうことだ。
本の発想、手触り、内容、デザインの一貫性、
柔らかさ、センス、遊び――ひと目で編集者が達人だとわかる。
たとえば見出しは往年の植草本と同じ書体、字間。
そう、編集は僕の『僕はこんな日常や感情でできています』の編集、
あの倉田晃宏さんで、かつ歌人・盛田志保子の旦那。
いつも精確さと余裕を兼ね備えた仕事をする。ルックスどおりだ。
装丁も僕の本と同じ小田島等くんで、
倉田−小田島コンビはいつも柔らかく偏差値の高い仕事をする。
この小田島くんのエッセイマンガも掲載されていて、
僕は本を手にとって、イの一番に読んだ。
あいかわらずのふにゃふにゃ。省力化の中に潜むケンカイな哲学。
むろん植草体験の面白さや関連イベントの紹介など勘所もおさえている。
小さく笑みを漏らすとマンガ自体が笑みを返してくれる、そんな感じ。
マンガ中のコアラのキャラ、ほしいなあ。
そういえば僕はデザインをやってもらった機縁で
小田島くんのマンガ本『無 FOR SALE』
(これも倉田編集の晶文社本)を知り、
一遍で大ファンになってしまった
(いつか大学の講義で彼のマンガを扱おう)。
で、感動の余勢を駆って、三村京子のCDのジャケットデザインも
彼に頼んでしまったのだった。
コアラキャラがほしい、というのは
次の三村アルバムのための言葉だったりする。
●
倉田さんからは「いまJ・J氏が存命だという前提で
彼の目になってサブカルの何かを書いてほしい」という依頼だった。
で、僕は「じゃ、(日本の)音楽やります」と。
倉田さん「映画っていうとおもってました」。
まあ、僕は最近、洋画にほぼご無沙汰だし、
三村京子の新譜の宣伝もしたいからそういう選択をしたのだったが。
植草本だから一応、植草文体を自らに課す
(結果的には、お里の知れる文体も漏れでたけど)。
自由連想でダラダラ書きをする。
それとサイケデリックとかポーノグラフィとかジャズとか
植草アイテムをも盛り込んで「同じ匂い」を出す。
しかも最終目的は三村京子の紹介だ。
結構アタマをつかったが、
結局はジミ・ヘン→ゆら帝→戸川純(ゲルニカ)→三村さんの
数珠つなぎになった(つなぎの原理は読んでのお愉しみ)。
本当はゆら帝の前にはRCの「忙しすぎたから」が、
あとにはサイケ脱力パンク、シスター・ポール(会見記つき)が、
三村さんの前には椎名林檎(東京事変)も入っていたんだけど、
「さすがに長すぎます」と倉田さんにたしなめられ、
それらを削ったら、
なるほど他の原稿と肩を並べるに足る「締まり」が出た
――実際に本を手にとって、そう確認した。
倉田さん、やっぱり「物が見えてる」なあ。
本のハイライトは北山耕平が生前のJ・Jにおこなった
ロングインタビューの一挙大掲載だろうが、
「雑知識の全人」植草甚一ならば
専門諸家からの多彩な角度からの照射を――そんな気色ともなる。
この人選がやはりニクかった。
旧友筒井武文さんの
植草さんのヒッチコック考察の変遷を捉えた文章。
やはり植草本のなかの一文という条件から肩の力が抜け、
エッセイとしての良い流れを保ちながらも
映画そのものについての深い考察が底流している。
僕は映画雑誌をいま全く読まなくなっているので
筒井さんの文章にはご無沙汰だったが
こりゃ彼の最良の文章のひとつで
往年、彼に原稿依頼していた日々が懐かしくもなった。
筒井さんの原稿の良さは実作者ならでは考察の一方で
情報量の濃さが出たときに最も発揮されるが
たぶん分量の少ない原稿では寸目が詰まって活きない。
それが今回、豊富な紙幅をもらって指先が跳ね回っている。
ヒッチの予告篇論というマニアックなツボを押さえ、
同時に「未見の映画を最も書いてしまった」J・J氏の、
大文字「映画」の言葉の使い方に若干の疑義も挟む硬派ぶり。
双葉十三郎、小林信彦と最初に対比軸をつくることで、
植草映画論の位置づけを確定したのも手法的に素晴らしかった。
いかん、この調子で書いてゆくと膨大な分量になる。
もっとスッ飛ばして拾い読みした諸家の文章の紹介をしよう。
●
大好きな春日武彦の文には意外なエピソードがあった。
春日さんの実母はJ・J氏とお見合いをした経験があったのだという。
それを母上は断った――なぜか。
(当時のJ・Jは)「水野晴郎に似てたから」(笑)。
そっか、例の胃潰瘍手術後、痩身へとすっきりする前のJ・Jが
まったく別の(おシャレでない)風貌だった点、すっかり失念していた。
「おしゃれ」といえば、岡崎武志は古本マニアとして
『おしゃれ』という本を掴んだエピソードを披露している。
むかしそういうインタビュー番組があって、
ベストドレッサー賞を受けた植草氏が出演していて、
その語りが他の出演者とともに併録された、いわゆるTV本なのだった。
当時のインタビュアーは杉浦直樹で、いい仕事をしていたとわかる。
そこで植草さんの文が、語る文体であると同時に
植草さんの語りが、書く喋りだという分析が出てきた。
で、植草文体について書かれた文をふたつ読む。
寺山修司のことを書いて元気な元(角川)『短歌』編集長・杉山正樹、
僕には未知の千野帽子の文、それらを立て続けにこなす。
ふたりとも野崎孝訳、サリンジャー『ライ麦』の文体が
J・J文体を範にした事実をおさえていて、
だからふたつの原稿が一本線上に並ぶのだった。
なかで、千野帽子さんの原稿は植草→野崎『ライ麦』の影響下に
庄司薫や村上春樹、昭和軽薄体の文体が開花し、
それが現在のライターたちの
「男子カジュアル文体」に継続する、としている。
たんに雑誌文体とみられる領域に入ったこの分断線がするどい。
もうひとつの手柄は文中に
往年の植草文体のパスティーシュが満載されていて愉しいこと。
川端『雪国』冒頭を植草文体に換骨奪胎した和田誠さん、素晴らしかった。
●
ちょっと文体について。
喋り口調を文体に移す傾向は
ワープロ→パソコンと筆記用具が移行し、
「喋るように書く」風潮がつよまったのち
さらにブログやSNSがメディアとして生じ、
もはや文章書きの完全な趨勢になってしまった。
映画雑誌に多く原稿を書いていた時代の僕は、
寸目の詰まった原稿にどう流麗感をあたえるかで
語尾変化やリズムの研究をしていたきらいもあるが、
河出の「サブカルチャー講義」シリーズで、
とうとう喋り言葉を前面に擬制して、物を書き始めた。
ただし稲川方人さんなどは「あれは口語体じゃないですよ、
まったく新しい人工的な文体」といっていたなあ。
こうしてブログ文を書くいまも、人工的口語風がつづいている。
このようにエッセイ的な文章ではなく、
評論的な文章でもじつはそうで、
たとえば前々回アップした「視線について」などを確認されると
すごく文体に中間的な何かが発動しているとおわかりいただけるかも。
まあ、文体論というのはあまり生産的でないと僕は敬遠する習いだが、
先にしるした『僕はこんな日常や・・』などでは
僕なりのブログ文体が追求されたとおもう。
滋味と思考スピードを口語に注入して文自体を静かに騒がせた、
数々の中間的文体にあそこではお目にかかれるとおもう。
未読のかたはぜひ。
話を戻して植草文体のパスティーシュでいうと、
鏡明の文章が植草さんのノンシャランを完全再現していて目を瞠った。
植草さんの散歩術を示唆する標題は
意図的に「腰砕け」になる。
この「腰砕け」に豊饒感があって、その柔らかい策士ぶりが眩しい。
それでも結果的に、散歩とは何かに行き当たるのだった。
そうだ、やっぱり「散歩」だ。
散歩するように詩歌や文を書くというのは最近の僕のテーマで、
結局、「話体」「饒舌体」というより「散歩体」というと
文の組成が身体論的により明らかになるような気もする。
問題は口ではなく脚なのだった。だから西脇。
その他、植草さんの音楽観を綴ったものなど
あと二、三の文章を読んだが、いずれも素晴らしかった。
B5サイズでのmy原稿掲載本のストック棚は
いま僕の本棚にスペースがなくなってしまっている
(A5サイズの自著の置き場所がないように)。
それなのにもうひとつ、B5サイズ
(精確にいうと変型で、縦も微妙にB5以上)の
掲載本が増えてしまった。
『d/SIGN』16号(特集=廃墟と建築)がそれで、
そこでは杉田敦さんの『ナノ・ノート』(彩流社)につき
比較的長い書評を僕は書いている。
ふつうはこの書評と、晶文社・植草本の僕の原稿が
同じ筆者とはおもわれないかもしれないが、
さっきしるしたような処理により
同じ中間性が生じていると見抜かれる公算もあるだろう。
●
晶文社・植草本には例のごとく薄土色の、
「『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』の読者のために」としるされた
自社刊行本の栞が入っていて、
そこに小田島くんのマンガ本の案内とともに
僕のブログ本の案内もちゃんと入っていた。
そういうかたちで晶文社の栞に自著が載るのが夢だったので嬉しいなあ。
視線について
AからBもある。
CからDもある。
――視線の話だ。
しかも視線では人から人へのみならず
動物から人へ、物から人へなど
多様な方向・線も考えられる。
仮定的に無限な視覚(それが世界の内容ということだ)を
自己の感覚器官によって「縮減」し、
世界像を自分の身体基準で取り込むのが
人間の感覚だとベルクソンは強調する。
しかし「縮減」のない
万能・全方向の視線は技術により実現が可能になった。
いっときの吉本隆明が語った「世界視線」は
ランドサットによる地表映像、
それにニアデス体験者が離魂して
自分の臨死病躯を
俯瞰視線で捉えたという共通体験とから導かれた。
その次に対象の実在性・それとの距離すら介在しないCGが
造型に内在させている視線の無限性を示唆した。
視線の無方向性蔓延という事態は
直接身体的ではないという難詰を
発想力に富む吉本はあらかじめ封印している。
たとえば風景。
風景はもはや
人一個の身体を基軸にして捉えられるものではなく、
現代都市なら想像が無方向に蔓延した
動きやまない立体運動として捉えられるものだ
――精確に『ハイ・イメージ論』を引用すれば
もっと吉本の詩的な修辞にも出会えるだろうが、
(書評以外は
書物を開いて文を書かないというのが
僕が自身に課したミクシィでの自己原則なので)
吉本の意見は要約するとこの近似値になると
おもっていただければいい。
一元的世界像の否定。
「重層的非決定」などの用語もこの範疇に当然入る。
吉本は七十年代終わりから
「〇〇的現在」という言い方を量産した。
詩を書く者にとってとりわけ大事だったのが
『戦後詩史論』に収められた「修辞的現在」だったろう。
戦後詩的モチーフを失った日本の詩においては
詩篇個々の差異は修辞にしかもとめられなくなったという、
それ自体は正当な認識だ(これもここで略言している)。
廿楽順治さんなどはこの吉本の画期的視界によって
石原吉郎と荒川洋治が「同列」に――
言い方を変えればフラットに――論じられたのを
同時代的に接し本当に衝撃を受けた、と述懐していた。
無論いまなら人は、
山口晃とダ=ヴィンチをフラットに論じられるし
モーツァルトとパーカーとザッパをも同様に語りうる。
こういう認知状況の変容を確定するために
永江朗などはインタビュー集『スーパーフラットの時代』を
著したのだろう。
しかし無時間的多様性は吉本的倫理でいうと
かならずしも善ではない。
そうした眺望は必然的に「無」に似る、という認識をもつはずだ。
ましてや、吉本が「世界視線」をいう傍らでは
フランシス・フクヤマなどが「歴史の終焉」を言い出していた。
ちょっと文意が飛んだが、
ランドサット的俯瞰視線から地上をフラットに見うる時代というのは
歴史の内在進展を必要としなくなったということだ。
芭蕉と永田耕衣、ビートルズと椎名林檎などが
進展的二項ではなく隣在的二項として語られていい根拠となる。
こういうのがポストモダンのありようだと胡坐をかくと
では資本主義の終焉にたいし
物事がどう弁証法的に進展してゆくかの想像力が鍛えられない。
僕がおもうにしかし吉本が九十年代に出しかけていた方法論とは
脱弁証法的なそれだったのではないか。
名著『母型論』では胎児の発生、喃語から言語への分離などで
『言語美』に先祖帰りして「自己表出性」が
どうも記述のモデルになっているようにおもう。
吉本は往年の『初期歌謡論』では
古事記の歴史記載部分と歌謡記載部分を分離した。
その歴史記載部分に特殊日本性ではなくアジア的共通性があり、
なおかつ、歌謡部分の抒情は叙事に無限に先行する
――従って国家よりも抒情が根源的であるという認知に届いた。
この根源と「自己表出」が同体と考えないと
吉本の倫理性を見誤ることになると僕はおもう。
このごろはずっと吉本(関連)の著作を旅先までふくめて読んでいて、
吉本は実は幸福論の評論家なのではないかと考えるようになった。
拒否・糾弾の思想家というラベルはとっくに剥がれている。
ついで明視の思索者というだけでも平板という判定が出ているだろう。
●
吉本は近著『日本語のゆくえ』で、
現代詩の作者すべてが「無」だと定義した。
詩壇の多くは「衝撃」を演じたが、健忘症というものだ。
これは「修辞的現在」での彼の揚言の単純延長にすぎない。
問題はなぜ「無」か――その後の吉本の思考にある。
稀用語彙をつかい他者に向けて書かれていない閉塞性、
イメージ形成の放棄――そんなのはどうでもいい。
吉本が例示として語った、神話創造力と自然の不在のほうが
僕は事態としては大きいのではないかとおもう。
詩が内在すべき本来の自己表出が
詩作者の実在性が弱まり機能していないということだ。
それでたとえば「自然」までがその詩から消える、と。
気をつけよう――自然は例示だ。
吉本が「無」と定義した(若手)現代詩人には
廿楽順治さん、小川三郎さん、杉本真維子さんなど
僕が敬愛する知己がたくさんいる。
たとえばこの三人を一律に並べ無差異に「無」と断じる点に
とうぜん問題もあるのだが、
それよりも視像の形成力を放棄することで
彼らの詩に聴像が新たに成立していないか、
この考察を怠った点にさらなる問題があるだろう。
視像的無差異と聴像的差異のせめぎあい
――そこで生じる個性差。
あるいは現在の詩はそこで差異の豊饒を
保っているかもしれないのだった。
個人性の枠組のなかに沈潜しきっているとはいえ、
この「個人」が時代の要請により溶融しかかっていると
肯定的に捉えることもできる。
『日本語のゆくえ』の吉本にはたしかに
そんな動体視力が欠落していた。
「無」断定を
『ハイ・イメージ論』の吉本にまで引き戻してみよう。
吉本は永江朗が悪訳したような
スーパーフラット時代の到来という認知を
ギリギリでは回避し、
しかし身体を基盤にした縮減的認知だけでは、
無方向に蔓延している視線立体としての現在を捉えられない、
だから新たな認知基準が要ると語っただけだった。
視線にはたしかに
機械的拡張がなければ一定の方向性がある。
しかし聴覚は無方向だ。
左右上下からの音を耳は難なく聴く。
これはしかし耳の自在性ではなく、「耳の盲目性」による。
現在の詩は、たぶんこの方向に傾斜しだしていて
これが時代的要請なのではないかと僕はおもう。
詩は起源に立ち帰り万能性を放棄しだしている。
「世界視線」という概念装置を
「無」断定に短絡直結させるように
吉本の『日本語のゆくえ』が動いたとすれば、
それは吉本のために遺憾だということだ。
聴像はあらかじめ「世界視線」的だった。
そこでは盲目と明視の弁別すら不可能になる。
僕の考えでは資本主義の終焉では
物事は弁証法的な発動をしてゆかず、
「自己表出」的な発動をしてゆくのではないかとおもう。
吉本『母型論』の先見性もそこにある。
この先見性を吉本は『日本語のゆくえ』に接続すればよかった。
いや、視線そのものにだって盲目性と明視性の
弁別不能が予定されていると考えるべきではないか。
ベンヤミンは書いた。
ひとつの眼差しは見返されることを期待する実質である、云々。
この言葉を噛み締めれば僕のしるしたこともわかるだろう。
●
以上は今月末〆切の『詩と思想』の原稿、
その思考メモとして書きました。
書くべき原稿は編集部の要請で
もっと「無」=ゼロに傾斜しなければならないのです。




